法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

私の卒業研究

 自分の卒業研究の件を書いていたら,そういえば今から38年前に自分も卒業研究をしていたのだなとふと懐かしく思いました。今日は,私の卒業研究の時の苦労話を少し書きたいと思います。

 その当時,まだワープロ(文書作成専用機で,今のようにパソコンでwordなどのソフトがほとんどなかった時代にあったもので,今の学生はほとんど見たことがないかもしれません)と呼べるものはごくわずかで,もちろん研究室にはありませんでした。したがって,卒業論文は当然手書きで,しかも正式に提出するものは万年筆で清書したものを出さなければなりませんでした。文章云々の前にまずは先生から渡されたわら半紙に書かれた数式を解読して,かつ理解しなければなりませんでした。

わら半紙に書かれた数式は,3次元の熱伝導方程式をGalerkin法という重み付き残差法を用いて離散化していくものでしたが,その誘導の一部が書かれているだけで,そこから自分で境界条件式などを導入して最終的な方程式のマトリックスを導かねばなりませんでした。関連する書籍を図書館で探したりしたのですが,なかなか前に進みませんでした。研究室の他の2人も苦戦しているようでした。私たちの研究室は,先生の向かい側にあったので,先生が毎日のように来られてどうなっているのか問いただすのですが,3人もあやふやな答えしかできないものですから,先生から,ギャラガーの有限要素法の基礎という本(原本は勿論英語なのですが,日本語版が出ていたので,そちらを使いました)を購入して,それぞれ章・節の担当が決められ,毎週担当分を皆の前で説明することになりました。

 その時はとても大変で,先生からの質問に答えられるように必死になってその本の内容を理解しようとしました。この輪講で有限要素法とは何かも含めてかなり理解することができました。この本は,今でも自分の研究室に置いてあります。

 最初はテンソルもわからず,先生に君は大学の教養学部(私たちの頃は,1年生~2年生は学部全体でクラス分けされて(工学部内の学科に関係なく),一般教養科目を履修しました)で何を習ってきたのかと怒られました。翌日テンソルとは何か私の部屋に来て説明しなさいと言われ,数学の本やらなにやら片っ端から引っ張り出してその内容が記述されているところを探して読みました。今のようにネットで検索などという時代ではないので,関連書籍から自分で探し出すしかなかったのです(私たちは,先生の第一期生だったので,当然研究室の先輩はいませんでした)。

 有限要素法の基礎にはGalerkin法についても書かれていて,そこでようやくどのように離散化していくのか理解することができました。今度は,解法のためのアルゴリズムを作成し,方程式をどのようにプログラム化していくかを考えねばなりませんでした。プログラムをコーディングすること自体は,比較的好きだったので,どのようにしたら解けるのか考えながら少しずつプログラムを作成しました。私たちの時代はまだパソコンが普及していない時でしたので,プログラムはFortran言語で書いて,大型計算機で計算を行いました。TSSという端末が私たちの研究室から5分くらい歩いた道を隔てた先に大型計算機センターという建物に何十台もあって,そこでプログラムを書き込んで,コンパイルして計算機に流し,書いたプログラムのバグ取りを毎日のように行っていました。アウトプットがA3用紙で何十枚も出力されるのですが,そこに書かれたエラーメッセージとにらめっこして,直していきました。実際に計算できるようになったのは,年が明けてからだったと思います。卒業研究では,パイプクーリングの定常解析までで(非定常解析まで行きつかなかった),電力中央研究所で行われた実験結果と比較して,パイプ壁面の熱伝達係数を算定するところまで行うことができました。 

 その結果を基に卒業論文を執筆していくのですが,まずは原稿用紙に文章を手書きで書いて,先生のところにもっていって添削してもらいます。これが何度も繰り返されてなかなか清書するところまで行きつきませんでした。ようやく清書できるところまでいっても,それを読んだ先生がここを直しなさいと言われるとそのページだけでなく何ページも書き直すことになりました。図面は,ロットリング(墨の入った太さの決まったペン,その前は烏口で書いていたのですが,ロットリングペンが出てだいぶ図面を書くのが楽になりました)を使って,グラフの枠から数字,データのプロットまですべてテンプレートや定規を使って書きました。一枚描き上げるのに数時間かかることもありました。装置の絵などを描こうと思うと一日がかりというのもざらでした。

 こうしてみると,今の時代は簡単に文章作成すること,データ整理すること,図を作成することもできるようになったと思います。その分の時間で卒業研究の内容が我々の頃より飛躍的に向上したかというと,またこれは別の話かもしれません。この続きはまた明日書きたいと思います。