法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

信長が住んだ城

 昨日,今年の大河ドラマ明智光秀が主人公で,岐阜が結構出てくる話を書きました。それで思い出したのですが,息子が小学校6年生の夏休みの自由課題に“信長が住んだ城”というテーマで,息子と一緒にその足跡をたどる旅をしたことがあります。

 実家に帰省するのに合わせて,息子と二人でまずは東京から名古屋まで行き,その足で名古屋城に向かいました。現在の名古屋城の二の丸あたりに信長が生まれたとされる那古野城跡の碑が建っているのを昔聞いたことがあったので,その場所を探して写真を撮りました。信長の城の第一歩です。次に東海道線に乗って,清州の駅で降りたのですが,コインロッカーがなくて大荷物を持ちながら清洲城に向かいました。帰省する時に電車から見えるくらいなので,駅から近いと思ったら,結構遠くて20~30分歩いてようやく城の前に着きました。閉門の少し前で人があまりいませんでしたが,天守の上まで登って名古屋市内と遠く岐阜の金華山の方を二人して眺めながら,信長もこうして美濃攻略を考えていたのかななどと話をしながら,清洲城跡(現在建っている城は,元々の館の北側で,清洲城のあった場所は石垣のみが少しあるだけです)のところまで行って記念写真を撮って,駅の方に戻りました。

f:id:hoseiconcrete:20200521190447p:plain

那古屋城

f:id:hoseiconcrete:20200521190514p:plain

清洲城

 東海道線で岐阜まで行って,駅前で車を借りて実家まで行きました。翌日,岐阜公園に車を止めて,公園内で発掘調査されている信長館を見た後,ロープウェイで金華山の頂上まで行き,岐阜城に行きました。私が小学校の時は遠足で何度も歩いて金華山に登ったのを想い出しました。今度は,岐阜城に上がって南の木曽川から濃尾平野を眺め,西の方を見ながらここから信長が京に上る算段をしていたのかなと話ながら歩いて下山しました。その足で小牧市まで車で行って,小牧城跡(小牧山を登る途中に石垣だけ少しだけ残っています)に行きました。信長の美濃攻略の拠点となったところですが,城に住んだ期間は極僅かだったようです。頂上付近に小牧城をまねた小牧市歴史館があり,そこでパンフレットをもらって山を降りました。

f:id:hoseiconcrete:20200521190613j:plain

岐阜城

f:id:hoseiconcrete:20200521190640j:plain

小牧城跡(小牧市歴史館)

 ついでに犬山まで行って,信長は住んでいなかったのですが,一族が居城していて,今は国宝となっている犬山城も見に行きました。もう夕方近かったので,その日はそのまま車で実家に戻りました。翌日,朝早く実家を出て,今度は安土城跡に車で向かいました。高速を利用して,2時間弱で安土城まで行くことが出来ました。その日はとても暑い日で,麓から天守までの石段を登るのが結構きつかった記憶があります。もう20年近く前ですが,その当時でも発掘,整備が進んでいました。天守までいって,礎石の数を数えたり,歩幅で規模を確認して,その後天守の上層が復元されている資料館まで足を延ばして,拝観しました。お昼をどこで食べたか忘れてしまいましたが,その後ここまで来たのだからということで,彦根城まで行って,暗くなってから実家に戻りました。

 その後,2日ほど実家にいて,帰京したと思います。もう20年近く前ですが,よい夏の思い出になったと思っています。

f:id:hoseiconcrete:20200521190732p:plain

安土城天守