法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

石の声を聴け!

 昨日で大河ドラマ麒麟がくる”が一時中断となり,暫く観れなくなるのがとても残念です。これからどんどん面白くなっていくところで止められるのはとても歯がゆいですが,“麒麟を待つ”(ネット上でのトレンドになっているようです)ことにしたいと思います。明智光秀の半生を描くこのドラマのおかげか,最近では光秀が築城したとされる周山城跡が話題となっています。京の都の北に位置して,京と若狭を結ぶ周山街道の要衝に築かれた山城なのですが,記録がほとんど残っておらず,石垣などの僅かな遺構があるのみです。実は,この石垣,野面積みで穴太(あのう)衆によるものではないかされています。穴太衆は,元々延暦寺の石工集団で,その名を一躍有名にしたのが,信長が築いた安土城です。その後,秀吉や秀吉恩顧の家臣たちが,全国の城づくりにこの穴太衆を連れていったといわれています。阿波の国(現在の徳島県)の蜂須賀家も穴太衆を連れて行っています。現在,その十四代目の粟田氏が滋賀県の坂本にお住まいで,石材業をされていると聞き,2007年の3月に土木学会誌の取材でインタビューにいっています。

 今日は,その時のインタビューのことを少し書きたいと思います。

 取材は,土木学会の専務理事,土木史が専門のS氏と一緒にJR琵琶湖線瀬田駅で待ち合わせて,新名神信楽インターでの穴太積みの擁壁を見学した後,粟田さんのお家に行き,そこでお話を伺うという工程でした(私は,その後,京都にでて,次の取材のため余部鉄橋に近い夢千代日記で有名な城崎温泉に向かいました。そこでモリナガさんと落ち合って翌日豊岡の取材を行いました。これについては,また別の機会で紹介したいと思います)。

 瀬田駅でNEXCO西日本の担当の方と待ち合わせし,バスで一路信楽インターに向かいました。そこで,穴太積みを間近で見ることができました(新名神で,コンクリートの擁壁ではなく,一部石積みの擁壁としているのです)。大小さまざまな石が本当にうまく嵌め込まれているのをみてとても感動したのを覚えています。一通り見学した後,瀬田駅まで送っていただき,比叡山坂本に向かいました。坂本駅では,土木学会のN課長と落ち合って,粟田さんのお家に向かいました。

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穴太積みの擁壁

 以下にインタビューの要約を書きます。

 “穴太とは,古墳時代から始まった石積みの技法であり,京都の東側の坂本近辺にも古墳が沢山あります。その後,伝教大師最澄比叡山延暦寺を開祖され,そこでの仕事に穴太積が用いられたそうです。古墳の石積みというのは奥行きがなく弱いので,どうしたら丈夫な石積みができるかということで試行錯誤して出来上がったのが現在の石積みでだそうです。それが坂本の里坊の石垣などに残っています。

戦国時代になって,織田信長比叡山を焼き討ちにした折,石垣を砕こうとしても容易に砕けなかったそうです。その堅牢さから,安土城を築く時に呼ばれ,築城の仕事が始まったそうです。安土城の石垣で初めて穴太衆が時代の表舞台に出ることになりました。以降,穴太衆が全国の諸大名に呼ばれ,穴太積みが築城に用いられました。当時の城の八十%以上は穴太衆が手掛けた城であろうと言われています。

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安土城の石積み

その後も(江戸自体以降),穴太頭は禄高をもらい,武士の扱いで各地に住み着くようになったそうです。城の重要部分であり,修復工事などに従事していたようです(いまでいうメンテナンスを請け負っていたようです)。

粟田家には,「石の声を聴け,石が行きたいところに持っていけ」という家訓があります。先代もその先代から教えられたとそうです(宮大工の西岡家に伝わる口伝のようなものです)。粟田氏は,22歳からこの仕事を始められたそうで,一年くらいした時に湖東三山西明寺の仕事がありました。その時粟田氏が石を積んでいたのを見ていて,粟田氏のお義父さんの粟田万喜三氏(穴太積みの達人)が「お前,考えているようだけど,石に聞けよ」と言ったそうです。「アホなことと言うな,石がしゃべるはずないわ」と,当時は思っていました。それからさらに一年ほどして万喜三氏に「お前積んでみい」と言われて積み上げるのですが,積んだ石を見るなり万喜三氏がバールを持って砕くのです。どこが悪いか,何がいかんのか,全然教えてくれない。「わしの仕事を見ていたら分かる」と言うだけだったそうです(西岡氏とどこか通じるものがあります)。それで見ていると,やはり石の持っていき方が違うのです。万喜三氏が「あの石をここに」というと,ポンと合うのです。我々が持っていった時は無理して無理して収めているので,ものすごく違和感があったのです。“

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粟田万喜三氏

この続きは,また明日書きたいと思います。西岡氏や粟田万喜三氏のように俺の背中を見て仕事を覚えろと一度は言ってみたいものです。