法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

東大寺大仏殿の天井裏に登りたい!

 東大寺の大仏殿は,明治時代の後半と昭和に大修理が行われています(明治と昭和の大修理)。江戸時代に公慶上人によって大仏及び大仏殿が再興されて100年以上経過していること,江戸時代の復興に構造的欠陥があったこと,明治初期の廃仏毀釈によって寺自体が困窮し,大仏殿自体の修理もままならなかったことから,放置された状態が続き,各所に雨漏りなどを含めた損傷が顕著化し始め,柱も座屈するなどの甚大な被害(大仏殿の倒壊)へと発展する寸前だったそうで,修理が遅れたら,今私たちはこの大仏殿を観ることができなかったかもしれません。

 その後,文化財保護から明治36年にようやく明治大修理が行われたのです。この明治の大修理では,屋根裏の梁を木材だけで支えることが難しく,当時最新の土木技術であった鐵骨によるトラス構造をイギリスからその技法を取り入れ,総トン数が800tonも使用されたそうです(当然,鉄骨もイギリスから輸入しています)。

 私は,以前からこの大仏殿の天井裏のトラス構造が見たかったのですが,なかなかそのチャンスがありませんでした。それであれば,土木学会誌の取材ならOKをもらえるだろうと思い,学会の方から東大寺の方にいろいろ交渉をしてもらうことにしました。一時は取材できそうな雰囲気だったのですが,結局最後にNGとなってしまいました。

 天井裏の鉄骨構造がどれくらいの規模であったか,当時の最新土木技術をこの眼で見たかったのですが,土木学会でも(建築学会だったらOKだったかもしれませんが)そう簡単には許可が出ないことを思い知らされました。東大寺大仏殿という世界に誇る木造建築に土木技術がどのように生かされているのか,先達たちの偉業をこの眼で直に見たいという熱い思いは,今でも変わらないので,私が生きている間に何とか実現したいと思っています(なかなか難しいとは思います)。

 実は,明治の大修理では屋根裏(正確には屋根瓦の下地)にコンクリートを使用したらしいのですが,昭和の大修理で全て取られてしまったそうです(屋根の重量が重すぎて,大きく撓んでしまったためだそうです。このあたりのことは,昭和の大修理を手掛けた瓦職人の山本清一氏から聞いています)。

 折角東大寺と交渉してもらったので,天井裏には登れませんでしたが,古建築のメンテナンスや防災のことについて取材させてもらうことにしました。

東大寺は,平成10年5月に戒壇院の千手堂が全焼しています。堂内の仏像などは僧侶や消防隊員の手で運び出されましたが,重要文化財愛染明王像の一部が破損する被害が出ています。実はそれ以前から東大寺では各御堂にスプリンクラーを設置するなどの防災工事はしていたのですが,この火災をきっかけに最優先で行っているとのことでした。

 大仏殿は,取材した時(2008年2月)にはすでに全面にスプリンクラーが設置されており,ドレンジャー(近隣施設での火災において,火の粉などによる延焼を防ぐために建物周辺に設置された放水設備から水幕状の水を出すもの(ウォータースクリーン))も設置されていました。また,若草山には1500トンの水槽を設置して,火災時に備えています。南大門には,火災報知機及び南北各一箇所防水銃が設置されています。さらに,防犯カメラやセンサーによって火が出たらすぐわかるようにもなっているそうです。その他,寺全体に防災・防犯のための通信設備が完備しているそうです。

 今日はここまでとします。明治と昭和の大修理の話については明日書くことにします。