法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

小学生の頃

 先日,従妹から手紙が届いて,実家の写真を整理していたら,私の小学生の頃の写真が出てきたので送りますと書かれていて,10枚ほどの小学生から大学生の頃の写真が同封されていました。それを眺めていたら,あの頃のことを断片的ですが,思い出してきたので,今日はその頃のことを少し書きたいと思います。

 幼稚園から小学1~2年生の頃は,広告などの裏に鉛筆やクレヨンで絵をよく描いていました。描く絵は,戦艦大和鉄人28号ばかりだったと記憶しています。その頃自分の中で一番好きなキャラクタというか対象物だったと思います。結構子供にしてはうまく描けていたと母から大きくなってから言われました。ただし,他に描く絵は何を描いているのかわからなかったともいわれました。小学校に入学するまで,文字が全く書けなかったのは覚えています。幼稚園でジャングル大帝の絵を描いた時(これはレオらしく描けたと本人は思っていました),吹き出しをつけてレオが猿だったか豹だったか忘れましたが,何か命令しているようにしたかったのですが,ひらがなすら書けず,友達にその部分だけ書いてもらったのを覚えています。その時は,文字が書けないことも読めないこともあまり気にしていませんでした。ちょうど私が幼稚園に入ったころ,テレビが普及し始めた頃で,それこそ“鉄人28号(私が4歳の時にテレビ放映が開始されました),“狼少年ケン”,“宇宙少年ソラン”,“遊星少年パピイ”なんかを夢中になって観ていましたので,別に文字の読み書きができなくても不自由ではなかったのかもしれません。ただし,小学校に入学して,月刊誌の鉄人28号鉄腕アトム鉄腕アトムは父から兄に買ってもらっていたもので,鉄人28号は私に買ってもらっていたものです。毎月発売日になると父と一緒に北町(家から歩いて15分位の商店街のようなところ)にある鵜飼堂という私の住んでいたところでは当時大きな書店に買いに行ったのを覚えています)を買ってもらっていたのですが,当然文字が読めないと内容が分からないので,すぐに読み書きできるようになったみたいです。

 小学校に入ってすぐの頃だったと思いますが,よく父のタバコを買いに行かされたのですが,歩いてすぐのところに“フモト屋さん”と呼んでいるお店(雑貨や文具を扱っているお店)があって,そこに1カートン取りによく行っていました(当時は,小売店の多くがツケ払いだったみたいで,近くの薬局屋さんもツケ払いで,品物を受け取りに行くと,ガムをくれたので,よく行っていました)。お駄賃替わりにB紙(ビーシと呼んでいました)を一枚もらって帰って(大きさはB1サイズくらいですが,B1判よりも少し大きいものです。調べてみたら,愛知や岐阜でしかそういう呼び名とサイズがないことを知りました),そこに自分の好きな絵を寝転がって描いていました。

 小学校の入学祝に子供百科事典を買ってもらって,その中にある動物や恐竜の絵を見るのが楽しくて毎日眺めていたのを覚えています。人間の身体というところに,内臓などが描かれた人体図があったのですが,何故か凄くそれが気に入って,ビーシにその絵を描いて,カラーだったので水彩絵の具で着色までしたのを覚えています。それを見た両親は“この子は将来医者にでもなるのかね”などと言っていたのですが,土木屋になっていました。きっとその人体図というよりも身体の中がどうなっているのかということに興味があったのだと思います。小学4年生の時に,当時大好きだった恐竜の本を買ってもらって,その中にステゴザウルスの体内想像図が載っていたのですが,その絵がとても気に入って夏休みの自由研究で,その絵を元に紙粘土とヤクルトの容器を使って,立体のステゴザウルスを製作し,体の横の部分を外すと内臓が見えるものを造って,クラスの子たちに驚かれたことがあります。

 昔の写真を見ているだけで,いろいろ思い出すことがあります。いろいろ思い出してきたので,また機会があったら書きたいと思います。