法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

国宝ロストワールド

 今日は,以前読んで(というよりも見てというほうが近いかもしれません)面白かったというか,へぇーという本を紹介したいと思います。タイトルにあるように本の題名が”国宝ロストワールド”というもので,江戸末期に写真技術が日本にも入ってきて,その写真技術を駆使して当時損失の危機にあった日本の文化財をなんとか後世に残そうとして奔走した写真家たちが残した写真を集めた一冊です。古建築や仏像が大好きな私としては,結構ドストライクな一冊といえます。いつも思うのですが,もちろん現物がそのまま残っていて,それを鑑賞することができればよいですが,例えば最近あったものとしては,首里城正殿の焼失によって,その姿を突然見ることができなることだってあるわけです。しかしながら,多くの映像や写真が残っていれば,焼失前の状況を思い浮かべることができるわけです。私も2回ほど焼失前の首里城を見学しているので,自分の脳裏に焼き付いている風景を思い出すことができます(ただし,戦前の首里城は当然生まれていないので,写真でしか見ることができません)。一方,はるか昔に焼失してしまったものは,絵として当時の状況が分かるようなものが残っているものもありますが,そのほとんどは残っていません。もし,タイムマシンがあったら是非観てみたいと思っているのは,東大寺の創建時の大仏殿やその中に安置されていた毘盧遮那仏(大仏様)や四天王像と,鎌倉時代に再興された大仏殿と運慶や快慶が手掛けた四天王像です。東大寺南大門の金剛力士像よりも巨大な四天王像が安置されている姿は他を圧倒する迫力があったのではないかと思い始めると,居ても立ってもいられなくなってしまいます。そんな時は,江戸時代に復元された二天王(四天王のうち,二天だけが復元されて,残り二天は資金が無くなって首だけ造られただけで復元されませんでした)の写真(自分が大仏殿で撮った写真)を眺めながら気を静めるようにしています。もし,その当時写真技術があって,記録として残されていたらとついつい思ってしまいます。

 明治の始め,廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ,これまで大事にされてきた仏像の多くが破壊されたり,海外に流出していったりしました。それを憂いた写真家たちによって(後に国自体も文化財保護に乗り出してきます),記録として残されました。建物などは,屋外での撮影であったのでまだよかったのですが,堂内の薄暗い(ほとんど真っ暗)中での仏像の撮影は非常に困難を極めて,最初は屋外に出して撮影されたりしました。そのため,仏像自体に損傷を与えてしまうこともあったようです。その後,フラッシュ技術が発明されたり,鏡を使って採光したりして,堂内での撮影が徐々にできるようになったようです。

 当初は,文化財の記録としての写真であったのですが,その後芸術としての写真が撮られるようになり,土門拳入江泰吉等の著名な写真家が現れるようになります。この本の中で驚いたのは,興福寺の名立たる国宝が,ノミの市のように東金堂の中に集められて一枚の写真に収められているものです。北円堂にある無著・世親像,西金堂(江戸時代に焼失したからは再建されていません)に収められていた八部衆像,金剛力士像,金堂に収められていた四天王,東金堂に現在安置されている法相六祖像(何れも国宝)が所狭しと無造作に置かれているのです。いくら記録写真とはいえ,当時の状況を反映しているのか,そのぞんざいな扱いに心が痛む写真です。この他にも,空襲で焼失する前の名護屋城の写真や今にも崩れ落ちそうな彦根城の写真などもあります。この本をみていると,千年以上大事に守られてきた仏像なども,時代の大きなうねりで簡単に失われてしまうことがあるのだということをヒシヒシと感じました。形あるものはいつか無くなるのかもしれませんが,大事に残して後世の人たちにもその美しさを見てもらいたいと思います。

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国宝ロストワールド