法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

川辺川ダム

 温井ダムの現場に勤務していた時,このダムがアーチ式ダムの最後になるかもしれないというのを上司から聞いたことがあります。次あるとしたら川辺川ダムくらいだろうなとも言われました。川辺川ダムはどこにあるのか知りませんでしたので,上司に訊ねたところ,熊本県球磨川の支流で,日本で数少ない良好な岩盤でV字形の谷があって,アーチダムを造るのに適しているところだと教えていただきました。ただし,住民の反対が根強いので建設には時間がかかるだろうなとも言われました。その時,アーチダムを造る技術が温井で途絶えてしまうのかという思いと,川辺川ダム建設が行われるのであれば,鹿島が施工することになるのかなと思ったりもしました。その後は,特に話題に上ることもなく,私自身も技術研究所に戻っていたので,すっかり忘れていました。川辺川ダムの名前が再び挙がってきたのは,どこぞの政党が長く続いた政党から政権を奪取した時でした。“コンクリートから人へ”などというスローガンを打ち立てて,これまでの族議員が絡む箱モノ政策を一新して,仕分けを行うと息巻いた時でした。仕分けでは,“ダムはムダ”であるといって,多くのダム事業が休止もしくは中止となりました。その象徴として,長く住民のダム建設の反対運動が続いていた八ッ場ダムについて,当時の国土交通省の大臣だった前原氏が記者会見まで開いて中止を宣言したのを覚えておられる方も多くいらっしゃると思います。川辺川ダムについては, 2009年にかの政権下で休止の仕分けがなされました。これは,ダム建設の流域となる人吉市相良村が反対していて,当時の蒲島知事(現在も現職)が建設の白紙撤回を求めたことによります。かの政権は,願ったり叶ったりといったところで本体工事着工直前だった川辺川ダム建設をすぐさま休止してしまいました。

 八ッ場ダムについては,かの政権から現政権に代わった段階で中止が撤回されて,昨年竣工し,試験湛水などが行われ,今年の4月から運用が開始されています。皆さんもニュースなどでご存知かと思いますが,昨年の台風19号八ッ場ダム試験湛水中だったにも関わらず,満水状態まで貯水し,下流域にほとんど被害がなかったことは記憶に新しいと思います。一方,川辺川ダムの本体工事の建設は休止のままとなっていました。そこに今年7月に熊本県を襲った豪雨災害で球磨川が氾濫して65名の方が亡くなり,球磨川流域に大きな被害がでました。昨日,今回の豪雨災害を受けて,蒲島知事が川辺川ダムの建設を国に要請する旨のプレスリリースがありました。ifはありませんが,予定通り川辺川ダムの本体工事が行われていた場合,国交省は今回の被害に対して6割減となっていたとの推定結果を報告しています。環境保護も大事ですし,ダム建設にあたっては重要な事項だと思います。しかしながら,亡くなられた方たちに対する責任は誰がとるのでしょうか。かの政権は八ッ場ダムの時もそうでしたが,我関せずといったところです。川辺川ダムはもっと深刻に受けとめられるべきではないかと思っています。戦略のない戦術は時として大勢を大きく変える時があるといわれています。かの政権は,人気取りだけで大変なことをしてしまったと世間がもっと声をあげてもよいと思います。現熊本知事もその点について明確な回答が必要であると思います。

他方,ダム建設を悪者にするのは簡単ですが,私たちはダムの大事な役割を世間の人達に知らしめる努力をもっとしていく必要があると思っています。