法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

トコトンやさしい土木技術の本

 今月末に,日刊工業新聞社というところからタイトルの本を出すことになりました。トコトンやさしいシリーズは,土木に限らずいろいろな分野の入門書を出しているシリーズで,私も以前ダムの本を執筆したことがあります。ちょうど1年くらい前に出版社の方からトコトンやさしいシリーズで今度土木の入門書を書いてくださいといわれた時は,正直断ろうと思いました。土木の専門書は数多ありますし,土木概論はそれこそ著名な先生方がこれまで数多く書かれています。私のようなものが,土木のことを語るなど恐れ多くて無理ですとお話しました。編集者の方は,土木分野の専門書は確かに沢山ありますが,一般の人でもわかるような土木の本はこれまでほとんどないので,この一冊を読んで土木のイメージが湧くような本を是非書いてくださいといわれました。そこまでいわれたら書くしかないかなと思い,お引き受けしました。

 まずは,どんな切り口で書いたら良いか悩みました。土木の守備範囲はものすごく広いので,いくら簡単に書いたとしても百科事典のような本になってしまいます。大体,自分の専門以外のところは学生時代に習った程度の知識しかありませんから,それを一般の人にでもわかるように書くというのはかなり至難の業でした。そこで,目次を考える際,いろいろ悩んだ末に土木事業の流れ(企画・計画・調査・設計・施工・維持管理)に沿って書くことにしました。分野別で書くとどうしても専門外のところは薄くなってしまうと思ったからです。

 第1章では,土木の位置づけというか,土木と呼ばれている分野は何かということを私なりに整理して書いてみました。最初に土木が所属しているというか学問領域である工学と理学の違いについて書きました。私自身,あらためていろいろ調べてみると,意外とわかっているようでわかっていない工学と理学の違いでした。第1章は,土木とはというタイトルで歴史的な背景なども書きました。第2章は,土木の棲み分けというタイトルで,土木分野がどのように分かれているのか,土木と建築の違いなどを書きました。第3章では,土木計画の話,第4章では設計の話,第5章では施工の話,第6章では維持管理の話,第7章では土木の将来というか未来について書きました。

 本のページ数は160頁と決まっていること,各項目の半分はイラストや写真,図が入るので,文章自体は思ったよりも書けないというか要領よくまとめる必要がありました。また,土木事業の流れにするとイラストや写真になりにくいものも沢山あって,それを選ぶのにもかなりの時間を割きました。脱稿は,昨年の10月末だったのですが,こちらが選択した写真などをイラストや図,表にする作業が思ったよりも手間取ったこと,担当していた編集者の方が12月で交代したこと(産休に入ってしまいました),その後の編集者の方にいろいろ説明しながらの校正となったので,なかなか進まない状況が続きました。それでも今月初めに再校,念校までたどり着いて,ようやく印刷に回せるところまでこぎ着けました。それまでは,公開できなかったのですが,今日から解禁となったので,このブログにも書くことにしました。27日以降一般書店にも並ぶそうなので,是非手に取って読んでいただければと思っています。

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トコトンやさしい土木技術の本

 

事務処理

 3月の年度末になるといろいろな締切がきます。特に経理関係は締切が早くきますので,いつもは気を付けているのですが,それでも結構抜けがあります。例年ですと,事務の方から締切前にリマインドしてくれるのですが,今年はいきなり締め切りですというのが何件かありました。こちらも全て書き出してリストにしているわけではないので,事務から突然締め切り過ぎましたので,以後の経理処理できませんといわれると結構つらいものがあります。特に,お金が絡む話なので,もう少し気を遣ってもらいと思うのはわがままなのでしょうか。

 あまり人のことを悪く言うつもりはありませんが,ある特定の人物について以前からこういうことが結構ありました。以前にも書いたことがあると思いますが,何度か煮え湯を飲まされました。今回もある補助金の締め切りが今週初めになっているのに,一切連絡がなく,学務事務の方から締め切りましたけどよいですかと私の研究室まできていわれました。忘れていた私の方も悪いのですが,締切近いですが大丈夫ですかという一言くらいは言ってもらってもよいのではと思います。金額は,確かに高額ではありませんが,それでも予算を獲得したものですので,ちゃんと支出したいと思っていました。そんなことがあって少し落ち込んでいたら,今日も別の部署から受託研究の経理の締め切りは先週までなので,残高ありますが処理できなくなりますとメールが突然きました。実は,1月に連絡していたというのですが(確かに支出明細と一緒に経理処理は3月5日までですと文章の端に書いてありましたが,こちらはすっかり頭の中から抜けていました),それならば少なくとも1週間前くらいにリマインドするなり,研究期間延長の手続きをしますかくらい連絡してくれてもよいのではと思います。それもなくて,いきなりですから,カチンときます。普段は,提出書類の細かなことをいろいろ言ってくる割に,こういう大事なことは知らん顔で,期限過ぎてから締め切り過ぎましたよと言ってくるのです。どうにも腹に据えかねて,今年度は元々コロナ禍で契約が遅れて研究自体も終了していないので,ここで経理処理終了されては困るとメールしたら,期限延長の手続きできますと返信してきたのです。それなら,最初からそう言えばよいではないかと思った次第です。確定申告もこのコロナ禍で期限を1ヶ月延長していますし,科研費の繰り越しの手続きもしているのですから,大学の経理処理の期限も少しくらい先延ばししてもらいたいものです。

 この大学にきた頃は,他の先生方から国立大学に比べて私立大学の事務は優秀な人が多いと聞かされました。国立大学(今は独立法人ですが)の事務職員は,準国家公務員(だった思います)なので,仕事しなくても給料もらえるが,私立大学の事務職員はサラリーマンだから,当然査定もされるし,仕事ができない職員はどんどん閑職に回されるから,一生懸命なんだといわれました。私は,そういうものなのかと思うくらいでした(会社の事務の人と仕事ぶりは変わらなかったので,そんなに違いが分かりませんでした)。しかしながら,最近の事務職員の中には,本当にちゃんと仕事しているのか首を傾げたくなるような人もいます。気配りできない事務屋さんというのは,どうにも扱いにくいというか,イライラしてきます。また,研究期間延長のために事務書類をまたいくつも作成しなければなりません。大学教員の雑務がどんどん増えていきます。これでは,教育や研究に専念できなくなっていきます。

ブログ(シーズン1終了)

 ブログを書き始めて1年経ちました。学生に,ブログのようなものは毎日更新しないと意味がないといい,とりあえず学生が書く書かないは別にして,1年間は私が書くといった手前,模範を見せるべく毎日書きました。また,一回に書く分量としては基本的に1300~1500字としました(大体A4一枚程度)。一行書いて1年間続けるのは簡単ですが,ある程度の量を毎日書くのは結構大変でした。以前のブログで書いたように愛犬が突然虹の橋を渡ったときは,流石に辛くてA4半分くらいしか書けなかった時もありましたが,大体A4一枚以上何とか毎日書くことができました。

 最初のうちは,いろいろ書くネタがあったので,それほど大変ではなかったのですが,2ヶ月くらい経つと,書くネタが似たり寄ったりになってきて,もう少し違うもの書かないと自分自身続けられないと思い,在外研究でパリに滞在していた時のことを少しずつ書くこと,以前から書きたいと思っていた土木の映画についての話を書くことにしました。1年経ってパリでの生活はようやく1ヶ月過ぎたくらいまで書きましたが,まだ5ヶ月ほど残っています。土木の映画のストーリーは,ようやく入社して研修が始まったところまで書きましたが,この後の本格的な仕事のこと,家族との別れ,結婚のこと,出産と子育て(映画のタイトルと大きく絡む大事な場面となります),冒頭のシーンに繋がるラストシーンの橋を渡る場面のこと,エンドロールで主人公の娘が母と同じように橋梁現場で働いている場面と主塔の天端でピースサインしている場面のことなど,書きたい内容が山積しています。

 モリナガさんと色々な現場にいった時のエピソードも1/4も書いていません。まだ,ほとんど書いていませんが,海外出張にいった時の話もいろいろあります。コンクリート研究室のブログなので,私の趣味であるプラモデルの話はほとんど書いていませんが,1年過ぎたことですし,たまに書いてみるのもよいかなと思っています。映画のこと,ドラマのことはちょくちょく書いていますが,映画のことなどはまたまだ書きたいことが山のようにあります。仏像のことも実は書こうかと思っています。ここまで来るとコンクリートの事とは全く違う話となってしまうので,控えていたところではありますが,これらの事も少しずつ書いていきたいと思います。

 一応,毎日の更新は今日までにしようと思っていましたが,学生が卒業する今月24日まではおまけとして続けようかと思っています。それ以降は,不定期にしようと考えています。1年間でどれくらいの人が読んでくれたのかはわかりませんが,少しはコンクリート研究室のアピールになったのかなとは思っています。もう少し研究室というか研究内容について書いてもよかったのかなと思っているのですが,昨年はこのコロナ禍で研究室恒例のバーベキューも鍋会もなく,学生と飲みに行くこともほとんどなかったので,研究室のことはほとんど書くことがありませんでした。研究内容を書くと,報告書作成しているような気分になるので,あまり書こうと思わなかったというのが本音です。4月以降は,私が書くのを控えて学生に積極的に書いてもらうようにしたいと思います。誰が音頭とるのかはわかりませんが,研究室のブログなので院生たちの尻を叩いて学部生に書いてもらうようにしていきたいものです。

パリでの生活(その29)

 2018年7月7日(土)は,6時過ぎに起きて,朝食の準備をして6時30分過ぎに朝食を食べました。7時から約1時間Skypeを使って,社会人ドクターのS氏,既に博士を取得されたN氏らと打合せをしました。具体的にどんな内容の打合せを行ったかは忘れてしまいましたが,たぶんS氏の研究内容(機械学習による打音検査の自動診断関係)についての打合せだったと思います。こちらは早朝ですが,日本は午後3時過ぎとなります。私は,まだ頭が完全に目覚め切っていない状況だったので,あまり記憶に残っていないのかもしれません。S氏とは,さらに夏にこちらに来る内容についての話をしたと思います。N氏とは秋にマデイラ島で開催される国際会議のことを話したのではないかと思います。

 オンラインによる会議後,いつものように週末の部屋の掃除をして,10時過ぎに買い物に出かけました。次の週に食べる食材をいろいろ買い求めました。11時前にアパルトメントに戻って,アイロン掛けをした後,昼食の準備をしました。土曜日は,大体御飯を炊いて,インスタントの味噌汁と御飯にふりかけをかけての昼食となってきました。

 午後は,これも恒例のパリ巡りをしました。今回は,少し遠出をして西の方にずっと歩いて行って,エッフェル塔の近くまでいきました。目的地は,ナポレオンのお墓があるアンヴァリッドです。正式名称は,オテル・デ・ザンヴァリッド(L'hôtel des Invalides)といって昔の軍病院です。とても広い敷地の中にドーム状の教会とその後ろに軍事博物館があります。最初にドーム状の教会に入りました。サン・ルイ教会といって元々はルイ9世の遺体安置のために建設されたものです。その後,地下部分に墓所が設けられて,その中央にナポレオンの棺が置かれました。土曜日の午後ということもあって結構多くの観光客がいました。ナポレオンは,フランス人にとって英雄の中の英雄らしく,今でも多くのフランス人がアンヴァリッドに訪れるそうです。入口から入ると中央部が吹き抜けみたいになって,その中央に赤っぽい大理石(だと思います)でできた大きな棺が置いてあります。いくつか地下に下りられる階段があって,棺の高さまで下りることができます。階下は回廊のようになっていて,360°棺を観ることができます(もちろん中は見られません)。

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サン・ルイ教会

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サン・ルイ教会の前からはエッフェル塔も間近に見えます

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サン・ルイ教会内に入ると中央にナポレオンの棺が見えます

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ナポレオンの棺

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多くの近代的な要塞などを設計したヴォバーンのお墓もサン・ルイ教会内にあります。

 地下まで下りて棺を見た後,教会の背後にある3階建ての巨大な建物の中の軍事博物館を見ました。ほとんどは,フランス革命後の展示で,銃や剣,軍服などが展示されていました。ゆっくり見ていたらきっと1日かかると思い,結構足早に見て回りました(閉館時間が16時だったか17時だったか忘れましたが,結構早かったように覚えています)。回廊の片隅にルノーFT-17型の戦車(世界で初めて回転型の砲塔を備えたフランスの戦車)が置いてあって,凄く興奮して写真を撮りまくりました。こんなところで見られるとは思ってもいませんでした。閉館前に軍事博物館を出て,17時前にアパルトメントに戻りました。天気も良かったので,楽しい週末の午後を過ごすことができました。アパルトメントに戻ると家族から連絡が入っていて,こちらからかけ直してビデオ電話での会話をしました。その後,夕食の準備をして,食事をして21時30分に就寝しました。

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アンヴァリッドの全体がわかる立体模型

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教会の背後にある軍事博物館

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博物館の建物の中央にはナポレオンの像があります

 

神童

 最近は,生協の食堂が入試や春休みなどでお休みのことが多く,近くのコンビニやパン屋で昼食を購入して,研究室で食べることが多くなっています。研究室での昼食は,食べながらのDVD鑑賞を昔から行っていて,市ヶ谷の研究室においては,今“グランメゾン東京”を観ています。やはり食事というか食べ物が絡むドラマは何度観ても面白いですし,グランメゾン東京ではレシピが表示されるので,私としてはとても興味津々で観てしまいます。料理している風景も結構出てくるので,その点も面白く観ています。

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グランメゾン東京

 小金井の方は,これまでに購入して観てしまったDVDをリバイバル鑑賞しています。先日まで“恋するマドリ(2007年8月公開,監督:大九明子,出演:新垣結衣松田龍平,菊池凜子他)”を観ていました。新垣結衣の映画初主演で,初々しいガッキーの演技が見どころといえます。今から14年前の作品で,映画館で観て気に入ってしまって,DVD発売と同時に購入しました。久々に見返してみると,ガッキーの初々しいというよりもちょっとイモっぽいところがすごく目立ちます。最近の洗練された演技ではなく,感性だけで演じている感じでします。そこがまたよいところなのかもしれません。映画自体は本当に他愛無い話なのですが,ついつい見入ってしまう映画です。

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恋するマドリ

 “恋するマドリ”は2週間ほど前に観終わったので,今は“神童(2007年4月公開,監督:萩生田宏治,出演:成海璃子松山ケンイチ,手塚里美他)”を観直しています。映画館で観たとき,ピアノ演奏に圧倒され,当時ファンだった成海璃子さんの主演映画(確か同時期に“あしたの私のつくり方(2007年4月公開,監督:市川準,出演:成海璃子前田敦子他)”も公開されていて,こちらを先に観てその存在感と引き込まれるような目に魅了されたのを覚えています。AKB48前田敦子が共演で,成海璃子さんの演技に比べてひどかったのも覚えています)ということもあって,これもDVDが発売されるのを心待ちして,予約までして購入しました。漫画か何かの原作を映画化したものだったと思いますが,DVDの特典ディスクを観て,本当に神童と呼ばれるような人がいるのを知りました。

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あしたの私のつくり方

 成海璃子さんのコンサートシーンでの演奏の吹き替えをしていたのは,当時12歳の女の子(和久井冬麦)だったと思うのですが,わずか5歳でウィーン国立音楽大学予備科に入学していて,世界でも注目されている演奏家という紹介でした。この時,神童の主人公のうたのような演奏家が実際にいることに驚きました。持って生まれたものというか,神が授けた才能というものがあって,本人の好き嫌いに関わらず,自ずとその道に引き入れられて,その才能が開花する(うまくいかずに破滅の道を辿るものももちろんいます)のだと思いました。

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神童

 神童を見返していてこんなことを思っていたら,あるSNSでよく知っている教授のご子息が御三家と呼ばれる有名進学校に入学したという記事を読みました。神童とは違いますが,血筋というか頭の良さの遺伝というのかそういうものはやはりあるのかなと思いました(その教授もご子息と同じ学校に入学し,その後東大に進み,現在では世界的に有名な研究者となっています)。凡人には,到底わからない世界があるのだと思った次第です。ただし,どんなに優れた才能を神から授かったとしても,それを磨かない限り光り輝くことはないことも知っておくべきだと思っています。神童であっても,何もしなければただの人なのです。

確定申告

 この時期は,大学の業務関連が一通り終了していくのですが,それと入れ替わるように受託業務の報告書作成及び確定申告の書類作成を行わなければなりません。3月は,大学教員が一年で一番ホッとできる月でもあるのですが,残念ながらなかなか休ませてはもらえません。確定申告は,給与以外の所得(雑所得)が確か20万円以上あった場合に行わなければなりません。私の場合は,講演料,講師料,技術指導料(有識者からの意見聴収等),印税,特許料などがあります。どれも額は小さいのですが,塵も積もれば山となるではありませんが,まあソコソコの金額となります。

 所得金額の計算は,各事業所から源泉徴収票が送られてくるので,簡単に計算ができるのですが,雑所得にかかる経費を算定するのが結構大変です。大学に来た頃,他の先生からまずはなんでもよいので領収書をもらうことを忘れないこと,それらから取捨選別して経費に当てることと言われました。領収書が報酬に関わっているかどうか判断できないものは,確定申告する時に外せばよいといわれました。飲食を伴う打合せ(いわゆる会合費)もれっきとした経費ですよといわれました。科研費や研究経費から会合費を出すことはありませんが,本の執筆に関わる打合せや出張などはれっきとした経費ですし,講演や執筆,技術指導に必要だと思うもの(本の購入等)は,当然経費に相当します。それだけでも年間結構支出しています。

 もう一つ言われたことは,毎年のように還付を受けていると税務署から目をつけられるので,ほどほどに支払った方がよいというものです。私たちはサラリーマンですが,上述したような個人事業主に近いような業務も行っています。それを生業にしている人たちも沢山います。領収書があって,ちゃんと目的を持ったものであれば,特に目をつけられることはないのですが,副収入を申告している大学教員の場合はこれまで結構ターゲットにされていたと言われました(大学教員自体結構ズボラで経費の計算なども適当だと思われているのかもしれません)。本当かウソかはわかりませんが,私は真に受けて毎年,かかった経費をちゃんと計算し,幾ばくかの税金を支払っています。さらに,計算がし易いようにEXCELで確定申告用の計算表まで作成しました。経費の内訳は,毎回支出票に自分が支払った費目と内容を記述しておいて,申告時にすぐに計算できるようにもしました。

 以前は,紙媒体だったので,領収書を費目ごとに糊付けして,番号を振って各費目の表紙に領収書番号と内容,金額を書いた表を付けて,それを税務署に提出していました。最初の年は,府中にある武蔵野税務署までそれを持参しました。翌年からは,郵送するようになり,ここ数年は電子申告で,領収書の束は何時でも提出できるようにファイリングして机の引出しにしまってあります。

 この確定申告が終わると一年終わったという気分になります。昨年は,コロナ禍の影響で,講演会,技術指導,講師などがほとんどなく,大幅な収入減となりました。これを生業としていたら,破産していたと思います。今年は,少しそれらのお仕事が戻ってきてほしいと思っています。それにしても,収入の大幅減にも関わらず,確定申告の書類作成の手間はあまり変わりません。もう少し簡単に処理できる方法をもっと考えなければと思うのですが,年に一度というか1日の作業なので,そこまでパワーかけることもないかと思って,毎年過ぎています。まだ,書類作成完成していないので,これからひと踏ん張りです。

Web会議(続き)

 3月3日に投稿したブログ(Web会議)を事務局の方が読まれたとは思いませんが,昨晩私のメールに事務局から連絡が入っていて,今回の講演の謝金を現金書留で自宅にお送りしますという旨のものでした。まさかとは思いますが,あまりのタイミングにびっくりしてしまいました。勝手な思い込みで書くものではないと反省しています。ちょっと驚いたのは,現金書留で送りますというものでした。昔は,郵便為替などがありましたが,結構現金書留でいろいろなところに送っていたのを思い出した。

 学生の頃,模型雑誌か何かで,シュピールベルガーというドイツ戦車の研究家の書かれたドイツのⅣ号戦車の開発史から構造まで,写真を交えたバイブルのような本の広告が載っていました。残念ながら,ドイツ語で書かれた本だったのですが,どうしても欲しくて広告が出ていた東京の笹塚にあったホビーセンターえんどうというところに現金書留を,家の近所の郵便局に行って出したことを思い出しました。最初出し方が分からず,いろいろ局員の人に聞いて(割印することも知りませんでした),お金と希望商品を描いた便箋を入れて出しました。

2週間くらいしてから小包が届き,ハードカバーの本が入っていました。本の中の写真をみているだけで楽しくなりました。私は,大学の第二外国語にドイツ語を取っていたので,独和辞典を片手に一生懸命訳したのを覚えています。毎日のように眺めていたので,装丁がボロボロになってしまいましたが,セロテープで補強しながら読んでいました。

 お金を送る方法がわかると,その後は当時流行っていたガレージキットの購入も始めました。今のようにネット通販などというものはありませんし,当然インターネットなどもなかったので,模型雑誌などの広告を頼りにお店に現金書留を送りました。今から思うと,送金だけして商品が送ってこないなどということを微塵も思わないでお金を送っているのですから,怖いもの知らずだったのかもしれません(ゴジラガレージキットが当時2~3万円していました。今の価格だと10万円以上の価格になるのではないかと思います)。

 アルバイトで稼いだお金のほとんどを洋書の購入やガレージキットの購入につぎ込んでいました。そのうち,実際に洋書を売っているお店を見たくなって,東京まで行った記憶があります。行ってみるとそんなに大きなお店ではないのですが,見たこともないような海外の模型や本が所狭しと置いてありました。ガレージキットは,主に海洋堂ボークスから購入していましたが,ボークスは当時京都の同志社大学の近くにあり,京都の親戚の家に泊まって店まで行ったことがあります。ここもすごく小さなお店でしたが(3坪くらいしかなかったと思います),天井まで積み上げられた模型や木製の帆船キットが歩くところもない位に置かれていました。模型の多さと店員の熱意に凄く圧倒されたのを覚えています。海洋堂は,結局その時行かずじまいとなってしまいました(海洋堂自体は2000年以降何度も行っています)。

 現金書留自体は,会社に入ってからはほとんど使わなくなりました。その頃には銀行振込が主流になっていました。しかしながら,お金と便箋を緑枠の特殊な封筒に入れて,三重に糊付けてして,三箇所に割印をして局員に出すまでのあの何とも言えないドキドキ感は今でも忘れられません。