法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

突然のテレビ取材(その4,最終)

今日は,テレビ放映後の話を少し書きます。今回のことは,たまたま起こったことではなく,これから起こるであろういろいろな事象の予兆なのかもしれないのです。いつも上を向いて歩くことはないにしても,何時自分の身に降りかかるかもしれないことは皆さん自身がしっかり覚えておいてもらいたいと思います。

 

その後も,15日に札幌の繁華街で看板が落下して女性に当り,意識不明の重体になるという事故があり,今度はTBSとフジテレビから電話がかかってきて“今回の札幌の事故は寒さの影響があるかどうかコメントしてもらいたい”といってきました。それに対して,“現場の状況も分からず,怪我をされた方もいるので,軽率にコメントすることはできません。建築の仕上げなどを行っている方たちに聞いてもらえますか。”と応えて,コメントするのを断りました。それから数日して,NHKから“今回の一連の事故について,過去の落下事故なども含めていろいろ取材しているのですが,お話聞けますか”という趣旨の電話がありました。これについても“私は,この分野での専門ではないので,建設会社の仕上げなどを行っている方や大学のその方面での専門家に聞いていただけますか。”といって断りました。その後は,何処からも取材などの依頼はきていません。

この一連の外壁落下の騒動は,建築物で行った事故であり,確かに私にとって土木と建築という異なる分野で起こったことなのですが,同じ建設業界という点で,その維持管理に対する認識の甘さを痛感させられるものでもありました。これは,建設関係者はもちろん,管理者の維持管理に対する考えの甘さを露呈していると思えます。笹子トンネルでの天井板崩落事故でも問われたことなのですが,点検はしているが,まさか落ちるとは思っていない,もしくは落ちるはずがないという安全ボケというか,安全に対する妙な思い込みが世間一般の人たちに蔓延しているだけでなく,建設関連の人間にもそれが伝染しているように思えます。以前の笹子トンネルの事故の後で,「コンクリートの作りっぱなしの罪」と題してインタビューに答えたことがあります。日本人に限ったことではないかもしれませんが,新規に構造物を構築することに対しては,多くの資金や労力をかけるのに,一旦完成してしまうと,それがいつまでも壊れないでいると錯覚してしまいがちです。少し不具合があると,管理者から何故ちゃんと作らないのか,手抜き工事をしたのではないかと施工者に対して疑いの目が向けられることがよくあります。管理者も既設の構造物に対して,維持管理費や修繕費等の予算が少ないことから,法的な規制の範囲で最低限の頻度での点検業務となり,さらにそれも費用が掛かる点検ではなく,目視を中心としたものとなってしまっています。これをどのように改善していったらよいのかは頭の痛い問題なのです。

 全4回にわたって,突然のテレビ取材について書きました。冗長な文章で申し訳ありませんでした。ひとつの番組の中の1コーナーを作るだけでもこれだけ大変なのですから,テレビ制作というはとてつもなく大変な仕事だと思った次第です。この他にもいくつかテレビに関わったことがありますので,機会をみて書きたいと思います。