法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

数百年先を見据えた仕事

私は,古い神社・仏閣などいわゆる古建築を見るのが好きで,出張などで関西方面に行ったときは,時間を見つけて,見に行っています。昨年,たまたま大阪で会合があったので,復元された興福寺の中金堂を見てきました。また,私は寺社仏閣だけでなく,その中に安置されている仏様たちを拝顔するのも好きです。法隆寺薬師寺東大寺唐招提寺教王護国寺(東寺),浄瑠璃寺広隆寺など京都,奈良の千年以上の古刹を挙げだしたらきりがありません。では,これらの社寺の建物や中に安置された仏様は,創建時からずっとそこに鎮座したままかといえばそんなことはありません。しょっちゅう傷んだところを修理し,百年~二百年に一度は,一旦全部解体して,傷んだところを総取り換えして,新たに組み直す解体修理(オーバーホール)を行っているのです。今年の五月に約11年間かけて解体修理された薬師寺東塔が観られます。是非,機会を見つけてこざっぱりした(修理が終わった)東塔の姿を観たいと思っています。フェノロサが“凍れる音楽”と称して絶賛した薬師寺東塔,またその雄姿が観られると思うとワクワクします。実は,創建当時の姿を今に残すということは,弛まぬ修理の賜物で,並大抵の努力でなく,地道な修理の積み重ねの上に今日の姿を我々に見せているのです。つまり,建物だけではなく,物を長く使うためには日頃如何に愛情を持って手をかけているかにかかっているのです。

 

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興福寺 中金堂

これらの寺社仏閣の造営,修理を行っているのが,宮大工と呼ばれる人たちです。昔は,各寺に寺付きの宮大工がいて,日々修理や造営に携わっていたそうです。宮大工だけでなく,瓦職人,建具職人,左官などがそれぞれいて,修理やお堂の建設を行っていたそうです。昔はそれだけ需要があったということなのでしょう。明治維新以降,それまで幕府から寺領が認められていて,寺も堂塔伽藍をそれなりに維持できてきたのですが,新政府によってそれらは召し上げられ,それに追い打ちをかけるように神仏分離令による廃仏毀釈によって,千年以上続いた寺は困窮に喘ぎ,多くの仏閣が朽ちるに任せるような状態でした。当然,それまで各寺で抱えていた宮大工をはじめとする技能集団も離散していったのです。そのような時代の中で,法隆寺の宮大工に西岡常一(にしおか つねかず)という宮大工の棟梁がいました。最後の宮大工ともいわれ,後に薬師寺の金堂,西塔などの堂塔伽藍の復元を行っています。いわゆる薬師寺の昭和の大復興を成し遂げた人物なのです。それまでの薬師寺は,創建当時の姿を唯一残していた東塔と江戸時代に建てられた仮金堂と講堂があるのみでした。これを創建当時の姿に戻そうと,当時の管長であった高田好胤氏はタレント坊主などと揶揄されながらもテレビなどに出演し,百万巻の写経を勧進して,見事に金堂を創建当時の姿に復興させたのです。その後も西塔の建設,大講堂の建設,回廊,中門,南大門,玄奘三蔵伽藍などを次々と造営していったのです。今では,奈良西の京に天平当時の二基の三重塔と金堂が聳え(今年,解体修理が終わるのでこれらの雄姿が観られます),古の姿を甦らせています。高田好胤管長は今の姿を見ることなく,1998年に遷化されましたが,その後も高田管長の遺志を継いで,造営が続けられました。百万巻の写経の勧進を目指しておられましが,21世紀に入る前に六百万巻が写経され,現在では八百万巻を超えているそうです。

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宮大工 西岡常一

その時,薬師寺復興のための宮大工の棟梁として西岡常一氏を高田好胤管長は指名したのです。西岡氏は,法隆寺付きの宮大工であったので,最初は断ったそうですが,高田好胤管長の熱意に絆されて引き受けたそうです。西岡常一氏が生前の本の取材で,“木は,二つの命を持った材である。ただし,千年持つ材とするためには,千年生かす術を持った宮大工がいたからである”と話されています。また,薬師寺の西塔が完成した折に,東塔と比べて屋根の反り上りが大きいことを指摘された点に対して,“百年,二百年して落ち着くように造っている”という主旨のことをいわれています。我々が評価されるのは,今ではない。百年,二百年経って,塔として落ち着いた状態をみて,後生の人たちが東塔と並び称されることを西岡氏はイメージされていたのです。また,数百年して,その時の大工たちが解体修理した時に,これを建てた大工は良い仕事をしたといわれてから,初めて自分の仕事が評価されたと思われていたようです。つまり,自分が死んだはるか先でないと,ちゃんとした仕事をしたかどうか評価されないというのです。もちろん,それまで自分が建てた塔が残っているという自負もあるのではないでしょうか。それだけ自信を持って仕事をしているのだということの裏返しでもあると思います。目先のことしか考えていないどこぞの人たちとはえらい違いではないでしょうか。

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天平の姿が現代に蘇った薬師寺