法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

都市の再創造は,そこに住む人々の心組み

 今回,13回にわたって,京の都の話をトピックスごとに紹介しました。つい2~3日前の新聞で,秀吉の最後に築いた京都新城の石垣がでてきたという記事を読みました。京都は千年以上都が移っていないので,各時代でどのような街となっていたのか,実は遺跡の発掘ができない(家やビルが立ち並んでいる)ことから,実態がよくわかっていないというのも事実のようです。平城京のようにほとんど畑になってしまっているところでは,比較的発掘(土地の多くを国が買い上げて)できていると思います。ですから,ビルの建て替えなどで地面を掘れば,ほとんど遺跡が出てくるのも京都ならではといえるのではないでしょうか。

 私のその頃(約15年前ですが)の素朴な疑問として,何故京の都は千年以上にわたって日本の中心都市なりえたのか,また,平安京に至るまでには何故数多くの宮が造営されては消えていったのかで,それを適確に話してもらえそうな方を探した結果,京都市美術館のM館長に行きついたのです。M館長は,平安京研究の第一人者で数多くの本を出されており,平安京の模型の作製の監修をされたことでも有名な方です。当初,執筆していただくということで話を進めていたのですが,多忙であることと土木関連の分野の方ではなく,こちらの意図していることを書いていただけるか不安なところがあったので,直接お話を伺ったほうが早いと思い,京都まで押しかけてインタビューしたのです。今回のM館長のお話の中に,“継続こそが京都文化を生み出していった一番の基ではないか”,“京都は一面では非常に古さを持っていると同時に、飛び抜けてまた先端的な動きが出てくる”と言われたことが強く印象に残っています。都市は,まさに人によって形成され,人によってその都市の文化を創り出すのだと思った次第です。

 実は,このM館長と対をなしているのが,手塚監督のお話なのです。再という言葉には,再びやあらたにであり,そこにあったものを一旦破壊し,そこから新たに造り出していくことでもあるのではと思い,それならば都市を破壊する元凶から話を聴いてみようと,ゴジラの作品を手がけられた手塚監督にインタビューしたのです(何回か前のブログを読んでみてください)。

 一方,この土木学会誌の特集で,未来への時間軸を考えた場合,どうも明るい話題が思いつかずにいました。現実を見据えつつ未来に希望が持てるようにとの思いで,人口減少と都市形成の観点からM先生にインタビューし,IT社会への発展ということで日立総研のS氏に執筆してもらったのです。

 もう15年も前の話ですが,この特集で一番感じたのは都市再創造が決して物が新しくなることではなく,有形無形のものが人々の中から湧き出してくるものではないのかということでした。

 私の敬愛する宮大工の西岡常一氏の家に伝わる「口伝」の中に,“木の癖組みは工人等の心組み”という一節があります.この口伝の一節を借りて,“都市の再創造はそこに住む人々の心組み”ではないかと思っています。