法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

土木学会誌編集委員になっての初仕事

 以前にも書きましたが,土木学会の全国大会の特集号の担当で土木学会誌の編集委員会に行ったとき,幹事長をされていた元会社の上司のA女史に声をかけられて,2005年の6月から特集号を担当しながら土木学会誌の編集委員にもなりました。

 私は,特集などを担当するB班に組み込まれたのですが,後々いろんな企画に手を出すことになります。そのあたりについては少しずつ紹介していきたいと思っています。編集委員になって最初の仕事は「ミニ特集」の担当でした。特集は16頁担当するのですが,ミニ特集はその半分の8頁でとりまとめるものです。トレンドな話題などをスピーディーに紹介するものです。ただし,担当はひとりで行うのが原則だったと思います。

 ちょうど,神戸空港が開港するときだったので,「何故今更神戸に空港を作らないと駄目なのか?」という疑問から,ミニ特集のタイトルを“えっ? 神戸空港が開港したの? -関西3空港時代を迎えて,読者が思う?-”にしました。私のイメージとして,飛行機は海外に行くための手段という意識を持っていたこと,会社勤めを始めた頃は空港というのは鉄道や車を利用すると日帰りするのが大変な場所や,離島,海外渡航の手段という印象を持っていたためです。

 ちょうどその年に映画“Always三丁目の夕日(2005年公開,監督山崎貴,出演:堤真一薬師丸ひろ子吉岡秀隆堀北真希他”で,昭和30年代が舞台なのですが,青森からの集団就職してきた星野六子(堀北真希)がクリスマスプレゼントで青森までの切符を渡されるシーンを見ていると,その当時当然東北新幹線青森空港はないわけで,田舎に戻ることがどれほど大変であったかと思い,整備新幹線とともに地方空港の必要性のようなものを少し考えていた時期でした。

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Always 三丁目の夕日

 その後,国は一県一空港構想を打ち立てて,地方空港の整備が始まっていきました。今では日本国中日帰りできないところはないくらい道路網,鉄道網,航空網などの交通網が整備され,そういった意味で地方空港を造っていく意義のようなものが何となくわかってきたような気がしました。その反面,採算性等がどうなのかも気になりました。

 確かに,アメリカやヨーロッパでは地方空港は既に当たり前のようになっているのに,ついつい「狭い日本そんなに慌てて何処に行く」と思ってしまっている自分がいます。その一方で,海外に出かけた時は目的地の近くに空港がないと何となく不安になります。ヨーロッパの国に比べてそれほど国土に違いのない,むしろ南北に細長い国である日本の方がもっと空港があってもおかしくないのかも知れないとも思いました。

 2005年当時,国内路線は羽田中心の路線構図となっていて,地方空港を開港しても羽田の容量が一杯で便数を増やせないと言った悩みや,地方空港からアジアに向けた国際便を税関の問題などでなかなか門戸が開けない状況でした。

 ミニ特集では,開港となる神戸と,一足先に開港し利用率が高い能登に取材に行くことにしました。取材に行って思ったのは,空港が単なる飛行機の離発着の場ではなく,生活空間の場になりつつあるのではないかと思えたことです。ちょうどその頃,JRが駅内空間にいろいろな商業施設を取り入れて,単なる電車の乗降の場ではなく,生活空間の一部にしようとしているのと同じ空気を感じたのを覚えています。

 特に,地方空港は地域の活性化のための大きな手段として捉えているので,そこに空港に託す夢があるように思えたのです。神戸空港が開港してしばらくはターミナルビルが神戸の新デートスポットとなったのも単なる飛行機の離発着場でない空港の一面のような気がしました。そして,地方空港の空港内に地元の料理やお酒を安く食することができる店舗がその後増えていったのも出張などで実感したのを覚えています。

 東京や他の都市から「今日は,きれいな夜景を見ながら神戸牛のステーキでも食べに行こうか」といって,カップルでデートなんてことも実際にしている人たちもいるのではないでしょうか。あの空港でしか食べられない地元の食材がある店なんてよいと思いませんか。