法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

コンクリートのライフサイクル

今日は,コンクリートのライフサイクルについて少し書いてみたいと思います。

先日のブログでも書きましたが,私は大学を出て約17年間建設会社に勤務していました。最初の10年間は技術研究所というところでコンクリートの研究開発を行っていました。10年経って上司からダム現場に行って来いと言われ,約2年半の間広島の山奥のダム現場に勤務していました。その後技術研究所に呼び戻され,研究開発や現場でのトラブル処理,技術的な検討業務を行っていました。現場から戻って3年近く経ったある日,室長に呼ばれて,今度部内に新しいプロジェクトチームを発足させるので,そのチームに行ってくれと言われました。当時,現場業務を多数抱えていた時期であり,月の2/3以上は現場出張に出かけていて,落ち着いて研究開発していたとはお世辞にも言えない状況でした。今さら研究開発主体のプロジェクトを行うのは,何となく違和感というか抵抗感がありました。他方,私はちょうど博士論文を執筆していた時期でだったので,出張ばかりで落ち着いて机に向かう時間のない私を上司が気遣ってくれたのかもしれないと,会社を辞めて数年たった後に思いました。私が所属したのは,LCE(Life Cycle Engineering)プロジェクトチームというものでした。コンクリート構造物のライフサイクルを検討する部署です。

LCE自体は,1990年代頃から研究されるようになった比較的新しい学問領域で,LCC(Life Cycle Cost),LCM(Life Cycle Management),LCA(Life Cycle Assessment)等ライフサイクルという視点から,アセスメント,コストなどを論じていこうとするものの総称のようなものです。プロジェクトのスタートは,1999年の10月でした。その年の6月には福岡トンネルでのコンクリート塊の落下事故があり,世間も1980年代初頭のコンクリートクライシスの再来かと騒ぎ立てていた時期で,土木構造物の維持管理にも注目が集まっていました。会社としてもそのような状況のなかであったことから,LCEプロジェクトチームを立ち上げたのだと思います。

プロジェクトのメンバーは,コンクリート構造関係の研究室から3名,コンクリート材料・施工グループから1名(私一人),情報系のグループから1名の計5名でした。プロジェクトを始めてみて分かったことですが,技術屋ばかりが集まっただけのチームでは,LCEはとても語れないということでした。まだ新しい学問領域でもあったので,最初はメンバーの誰も(発足させた上司や幹部たちも含めて)何をしたらよいのか全く分からない状況でした。そこで,関連する海外の文献や国内で僅かに研究を行っている人たちの論文を集めて読むことから始めました。文献調査を進めていくと,技術的な観点はLCEを実践していく上でのほんの一部のツールでしかなく,むしろ経済学や法律,社会学政治学などのいわゆる文系の領域が大半を占めていることがわかってきました。考えてみたら当たり前のことで,土木構造物の多くはインフラであり,そのインフラを計画していくのは,国や地方自治体で,完成後の構造物の維持管理の主体も管理者である国や地方自治体であるということです。つまり,インフラの資金集めや企画を進めるプロデューサーやライフサイクルのシナリオを書く脚本家,ライフサイクルを指揮する監督は,全て国や地方自治体なのです(管理者側がどれだけ認識しているかははなはだ疑問ではありますが)。

構造物を建設する際のイニシャルコスト(初期投資)をどのようにして決めているのか,維持管理する際の財源の確保,調査や補修・補強を行った際の社会的影響度や経済的な損失など経営コンサルタントでないのだから,集められたメンバーで分かるはずもなかったのです。

そこで,インフラのライフサイクルを行っていく中で,建設会社にしかできないことというか役割分担としてどんなものがあるか考えることにしました。また,インフラすべてを網羅することは不可能なので,最初に対象とする構造物を絞り込んで,その構造物群をターゲットとして検討していくこととしました。対象とするインフラとしては,国や地方自治体が管理するいわゆる公共構造物といわれるものだけでなく,鉄道や道路,電力(火力発電所が所有する桟橋等)などの民間のインフラも含めた構造物をターゲットにすることとしました。

次に,集まったメンバー(建設会社の土木の技術屋)で何ができるか考えることとしました。私は,コンクリートの初期欠陥(ひび割れ)に関する検討や各種劣化に対する耐久性に関しての業務を行っていたので,塩害や中性化,凍害などでコンクリート構造物がどのように劣化していくのかを検討することになりました。今でいう劣化予測を行うこととなったのです。コンクリートの劣化要因も種々あり,それが単独で生じることは少なく,いわゆる複合劣化を生じる場合がほとんどです。ただし,その当時は単独劣化の予測もままならない状況であり,複合劣化を考慮した劣化予測を行うことは非常に困難でした。そこで,例えば温暖な地域での沿岸構造物のように塩害が卓越するような構造物をターゲットとして劣化予測することとなりました。

構造チームは,劣化が生じた場合の耐力低下の予測を行うこととしました。情報系のメンバーは,GIS(Geographic Information System,地理情報システム)を用いて,気象条件や地形条件と劣化の進行を組み合わせるシステム構築をしてもらうことになりました。このような条件が当てはまる構造物群としては,桟橋が良いということになり,桟橋の塩害による劣化予測システム(補修箇所,補修時期まで予測する)の構築を行うことになりました。このシステム自体でも桟橋のライフサイクルを検討していく上でのほんの一パーツにすぎないのですが,ライフサイクルを考えるうえでなくてはならないパーツの一つであると今でも思っています。

ここまで来るのに1年以上を有しました(当初は2年か3年で成果を出せと言われていたと思います)。しかしながら,ようやくプロジェクトチームでのやるべき方向が見えてきて,システム構築を開始したのですが,プロジェクトチームのメンバーだけではシステム開発までできなかったので,本社の情報システム部に依頼しました。我々は,劣化予測曲線の構築や劣化による耐力低下予測等の構築を行いました。

私は,最初のフレームワークの構築まで関与したところで会社を辞めてしまったので,その後は他のメンバーと私の替わりに入ったメンバーでシステム構築を行い,プロジェクトチーム発足から4年経過したところで,ようやくリニューアル最適化システムという名のシステムが完成したのです。発足時のメンバーの多くは会社を辞めたり,退職したりして,システムが完成して数年後にはプロジェクトチームは解散することとなりました。ただし,このシステム構築に刺激を受けたのか,それ以前からシステム開発していたかは不明ですが,その後ゼネコン各社が競って劣化診断・予測および補修・設計システムを開発,公開しています。

今では,インフラのライフサイクルを検討することは当たり前のようになってはきていますが,現在においても劣化予測技術自体研究段階のものが多く,複合劣化による予測も十分といえないのが現状です。インフラの老朽化や劣化による問題が深刻化している現在,一刻も早くインフラのライフサイクル技術を確立していくのが急務といえます。ただし,そこには前述したように技術的評価だけでなく,経済性,社会的影響度,法的な制度等非常に広範な知識と経験が必要になってくることを忘れてはなりませんし,そのようなスタッフ(チーム)が揃って,初めてインフラのライフサイクルを論ずることができることも忘れてはならないと思います。