法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

自分の人生設計について考えてみる

昨日は,コンクリートのライフサイクルについて書いてみました。書いているうちに,自分の人生設計はどうなのだろうかと考え始めると昨日は寝るに寝れなくなってしまいました。自分も還暦を過ぎて,残りの人生をいろいろ考えないといけない時期になってきました。今日は,そんなことをつらつらと書いてみたいと思います。

私が大学を出て,会社に入ってすぐの頃,職場の食堂の入口に昼食時には必ず保険のおばさん(もとい,お姉さん)が立っていて,私も含め新入社員たちに声をかけては生命保険の勧誘合戦を行っていました。大学を出るときに,親が気を利かせてというか就職祝いに生命保険の加入をしてくれていたので(もちろん,月々の支払いは2年目から自分で行いました),最初は敬遠していたのですが,辣腕お姉さんに最後は口説き落され,親の保険を解約し,そちらに切り替えたのです。その後もいろいろ声をかけてくれて,子供の保険なども全てその人にお願いしていましたが,数年前に退職されてしまいました。入った当時は,私はもちろん独身で,保険はいわゆる掛け捨てでした。自分が死んだ後のために,何で月々こんなにお金を納めなければならないのかと思っていました。その後,結婚し,子供ができて,家を購入したころから,自分が死んだ後,子供たちに残せるものは何か,伝えていくものは何かと考えた時,生命保険もその一つであろうし,土地や家もそうなのだろうと思い至りました(他の人からみれば,随分遅いのかもしれませんが)。

もう一つ16年前に父が他界したとき,いろいろな物をもちろん父は残してくれたのですが,兄と私の二人の子供という形で,父のコピーではありませんが,血というか遺伝子と言ったらよいのかわからないのですが,残していったのだと思いました。もちろん,父と母の両方から遺伝子を受け継いだのですから,父のものを全て受け継いでいるわけではないのですが,この血は祖父母,曾祖父母と代々受け継いできたものだと思うと,父の死の悲しみはありましたが,何か自分の身体の中に脈打つものを感じたような気がしました。受け継いでいくものは,形あるものだけでなく,記憶のような有形無形のものがあるとその時思いました。

振り返って,自分の人生設計はできているのかといわれれば,できているようでできていないと思います。死ぬ直前になって自分の人生を振り返った時,良き人生と思えるように,今を生きることだということをよく耳にします。確かに自分自身の人生はそうなのかもしれませんが,前述したように,自分は何を残し,何を伝えることができたのかを考えることも大事だと思っています。

私の母は,先々のことまでいろいろ考えてくれて,前述した生命保険もそうですが,私が30代半ばの時,お前は次男なので,将来分家して自分のお墓が入用になるといって,私のお墓の土地を購入してくれたのです。その時は,何でお墓の準備までと思っていましたが,今この歳になってくるととてもありがたいと思うようになってきました。

母がしてくれたことは,自分の仕舞と後世に残すもの,伝えるものを教えてくれていると最近思うようになってきました。その母も90歳を超えて,10数年前には大腿骨を骨折する大けがをしたのですが,その後つらいリハビリにも耐え,今では元気に歩いています。やはり先の戦争を生き抜いた人はたいしたものだと妙なところで感心してしまいました。

このようなことを書いていると,自分の人生設計をコンクリート構造物の話に結びつけたくなるのは,一種の職業病かもしれません。

コンクリート構造物は,供用開始時(人でいえば社会人として第一歩を踏み出した時期に相当すると思います。まあ新入社員ですね)から,供用期間中,解体・更新の間に,何をどのように次の世代(更新後の構造物,人でいえば子や孫でしょうか)以降に伝えていくかを管理者(人でいえば親になるのでしょうか)が考えていく必要があります。もちろん,対象構造物自体をできるだけ長く供用してもらうための維持管理(人でいえばボケないで,足腰シャンとしている健康年齢を如何に長くするかとでもいったところでしょうか。)をどのように進めていくかも重要な項目といえます。ここで何時も疑問に思うのは,何故コンクリート構造物には人の生命保険のようなものがないのでしょうか。このような保険があれば,死亡した時の保証(解体,更新)だけでなく,病気や入院の保証(劣化,老朽化に伴う調査,補修・補強)などが確実に行えるはずではないでしょうか。これは,親(計画,管理する事業主)が子や孫たち(更新後の事業主)に残し,受け継いで行ってもらうために必要なことではないかと思うのです。

話が変な方向に行ってしまいました。還暦を過ぎましたが,やりたいことはまだまだたくさんあります。これからの人生設計をしていかないといけないと思っています。そのためには,ボケないように足腰がシャンとするように気を付けねばなりません。ただし,最近は本当に眼が駄目になってきました。眼がよく見えなくなって,好きなプラモデルが作れなくなるのが今一番の不安かもしれません(人生設計も大きく変わってしまいます)。もちろん,新型コロナウィルスに罹らないようにしないと,好きなこともできなくなってしまいます。