法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

インターンシップ

 今日は,電力中央研究所でのインターンシップについて少し書きます。

 3人とも無事大学院の入試に合格し(私は,院試で英語とドイツ語が全くできなくて落ちたと思っていました),鹿児島大学からきたK君が加わって,4人での大学院の生活が始まりました(先日も書いたように学部生2人も入ったので,計6人の研究室となったのです)。先生からは,学生に見せるために鉄筋コンクリート梁の供試体作製を言われたり,鉄筋コンクリートに関する本(もちろん英語)での輪講がスタートしたりしました。夏休みの少し前に先生から“君たち,電力中央研究所で約2ヶ月インターンシップに行ってきなさい”と言われました。泊まるところは,当初電中研の宿舎かと思っていたら,そこが駄目になって,先生が電中研のE氏に依頼して,公営住宅を借りてもらい,そこで4人の共同生活となりました。いきなりの合宿生活でちょっと戸惑いましたが,これも経験ということで,4人行くことになりました。一応,2ヶ月分の給金もいただけるとのことで,賃料を差し引いた分が渡される(インターンシップの最後に)という条件でした。折角4人で行くのだからということで,お揃いのオレンジのツナギを購入していきました。

 公営住宅は,2Kでトイレ,風呂はついていました。トイレは当然水洗ではなく汲み取り式でした。クーラーも何もないところでの生活でしたが,まあそれはそれで楽しかったような(このあたりあまり記憶がないので,どっちだったか定かではありません)気がします。簡単な流しもあったのですが,料理は一切しませんでした。朝と昼は電中研の食堂で食べたと思います。夜は,大体電中研の道路挟んだ向かい側の定食屋で生姜焼き定食を食べていました。時々,お昼をE氏に御馳走していただきました(近くの中華屋からの出前)。そこのスタミナラーメンがことのほか気に入っていて,毎回それをお願いして食べていました。実験場の中で何回か焼き肉パーティーもしていただきました。出入りの業者さんたちと一緒に食べる焼き肉は格別でした。

 電中研で何をしていたかというと,コンクリート供試体の作製や強度試験の手伝い,夜はアクチュエータの制御のためのデータのパンチ(当時はまだパンチカードへの打込みで,ステップと荷重を一点ずつパンチカードに打ち込んでいったのです。今だったら,EXCELを使って一瞬で終わってしまうような作業を1週間近くかけて行っていました)の打込み作業でした。いつもは温和なE氏に一度だけ怒られたことがあります。供試体のキャッピングでセメントペーストを練った後,そのまま洗わないでいた時だったと思います。“君たち,コンクリートはそのままにしておけば固まるのは知っているよね。今度このようなことがあったら帰ってもらうから”言われ,4人ともシュンとなってすいませんでしたと謝りました。学生にいつも言っていることを40年近く前に自分も言われていたことを思い出しました。それからは,いつも作業の後は4人でピカピカになるまで試験器具を洗うようにしました。

 当然,部屋にはテレビもなかったので,夜退屈だろうからとネビルのコンクリートの特性の原書を渡されて,それぞれ分担が決められて夜な夜な翻訳をしていました。また,一緒にいた職員の方と親しくなって,その方が凄いオーディオのマニアと知って,お家まで押しかけて,専用の部屋で音楽を聞かせていただいたこともありました。

 休みの日は,柏だったか松戸だったかに行って,模型雑誌やアイドルの写真集を買ったと思います(公営住宅の近くには何もなかったので)。なんやかんやで2ヶ月が経ち,4人の合宿生活も終わりました(給金も無事頂きました)。今思うと,良い思い出になったと思います。そういえば,電中研の中にはゴルフのミニコースがあり,練習場もあって夕方仕事が終わって,夕食を食べる前に打ちっぱなしをしたこともありました。こうやって大学院1年生の夏休みは終わりました。