法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

人と人との信頼関係

今日は,市ヶ谷で対面の会議があったので,それに参加するために2週間ぶりに都心へ向かう電車に乗りましたが,以前は全く感じなかったのに,今日は最近の新型コロナ災禍の影響からか,周囲にいる人たちが皆感染者のように見えました(すごく疑心暗鬼になっている自分がいるのを強く感じました)。電車の中は,昼間だったので当然空いていて,皆一人置きに座っていたのですが,隣に30代くらいの男の人が途中から乗ってきて私の隣に座り,徐にゲーム機を取り出して始めたのを見た時には,そんなことして電車乗るなら次の駅で降りろと言いたくなる自分がすごく怖い気がしました。別にこの人が悪いわけではないのですが,とても不要不急の用事で電車に乗ったように思えない(自分は仕方なく乗っているという思いもあります)と勝手に決めつけてしまう自分に嫌悪感を覚えました。

以前にもダム現場で勤務していた時の発注者と施工者の甲乙関係(乙(施工者)の請け負け)について書きましたが,あらためて人と人との信頼関係について今日は少し書きます(というか,何か書かずには自分の気持ちがおさまらないので)。

私がダムの現場で勤務していた時,以前にも書きましたが発注者である建設省(現在の国交省)との関係がギクシャクしたことがありました。その時,よく聞いたのは,“契約上は甲乙対等だけれど,その実乙は請け負けで,やること為すこと全て乙側が悪いことになってしまう。こんなんじゃやってられない”というものでした。工事は,通常請負契約で行うものですが,その請負を請け負けと読んで発注者の上から目線と高圧的な態度を批判したものです。確かに,仕事をだしてもらって行っているのですから,その対価としてお金をもらっているのであり,何となく経営者側と労働者側のような構図になっているのです。また,工事が始まってお互い信頼関係を築く前に,ちょっとしたことで行き違いになって,対立姿勢となってしまった結果でもあるかもしれません。これもお互いの信頼関係が築かれれば,請け負けではなく,大事なパートナーとして接してくれるようになったはずです。

私がダムの現場から転勤した後,数年して別の仕事でそのダム現場に呼ばれた時には,私がいた時のようなギクシャクした関係が解消されて(もちろんその当時の役所の人間もほとんどいなくなっていましたが),役所への説明でも何となく和気藹々とした雰囲気で行われたのとを覚えています。その時は,お互いの関係というのがこんなに変わってしまうのかと正直驚いたものでした。私がいなくなった後,現場の人たちは信頼関係を築くために,いろいろ押し付けられた無理難題を嫌な顔一つしないでやったお蔭なのだと思います。

ひどい時には,コンクリートの打設前検査で役所から係長が来て,打設面の清掃がちゃんと行われているかどうかの確認作業を行うのですが,石ころ一個(1000m2の面積に対してです!)落ちていても清掃不十分で打設を延期させられるということが何度もありました。作業員たちは,日給月給(その日の仕事の出来高で給料が支払われるような仕組みで,仕事ができないとその日の給与が加算されない)であったので,こんなことされたら給料がもらえなくなると相当不満を持っていて,何かあったら大変な騒ぎが起こっていたかもしれないような一発触発状態が暫く続いていました。

職員の中にも,今でいうパワハラを相当受けて,精神的に病んだ状態となって現場を去って行った(要は転勤)人も何人かいました。そんな状態から,数年後にはお互いを尊重し合う関係にまでなっていたのです。

全てこのようにいくとは限りません。言い尽くされてはいると思いますが,まずは自分が相手に誠意をみせることから始まるような気がします。発注者は,国民の血税を無駄にせず,価値あるインフラを整備していく責務がありますし,施工者もインフラの整備を推進するために誇りを持って工事を行っていると思います。そして,お互い思いやりの気持ちが持てれば,ギクシャクした関係が徐々に解消されていくと思います。

こんな気持ちで電車に乗ったりできればよいのですが,やはり何時うつされるかわからないという気持ちは中々拭いきれません。もっと達観しなければと思う今日この頃です。