法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

はじめてのダム見学

 今日は,学生時代研究室3人で行ったダムの見学の時の話を書きます。

 4年生の夏に,先生から今市のダムの建設現場の見学の誘いを受けました。皆(と言っても研究室には3人しかいませんが)で行くことになりました。先生は,別件で東京に行かれるので,見学の前日に東電の現場事務所で待ち合わせすることになりました。今市までどうやって行くか相談し,岩田君の車で行くことにしました。名古屋から栃木までなので,どれくらいかかるかさっぱりわからなかったので(今のようにGoogle mapでルートと所要時間を検索する手段などなかった),地図を見て大体の距離から10時間くらいで行けるのではないかということで,朝の7時くらいだったと思いますが,大学で待ち合わせして出発しました。東名を走っているときは比較的順調でしたが,東京に近くなって渋滞にはまって,その後はなかなか前に進まず,日光市に入ったのは日が暮れた後でした。18時に待ち合わせのはずが,結局21時過ぎに着いたと思います。先生もあきれ顔で,待っていてくださった東電の方たちも怒るでもなく大変だったでしょうと労いの言葉をかけていただきました。3人とも恐縮して小さくなっていました。その後,確か食堂に連れて行っていただき歓迎会を開いて頂きました。お腹もすいていてガツガツ食べた記憶があります。その日はもう遅かったので(遅くした張本人たちは我々ですが),宿舎に案内されて,その日はそのまま寝ました。

 翌日,事務所でダムの概要について説明を受けました。揚水発電という言葉を聞いたのはこの時が初めてだったと思います。何故今市ダムの見学をすることになったのかと言いますと,当時先生がダムの温度応力解析について東電から依頼を受けて解析や計測などについて助言されていて,学生にも一度ダムの建設現場を見せてやりたいということで実現したと記憶しています。その当時,コンクリートの知識は皆無でしたので,ダムコンクリートがどんなものかやダムの規模等全くわからないまま,職員の方たちが一生懸命話をされるのを只々聞いていたと思います。

 その後,現場の車に乗せていただき,建設中の今市ダム(重力式コンクリートダム,堤高が 75.5m,提頂長が177m,堤体積が19.2万m3の発電用ダム(揚水式発電の下池ダム))の下流側に連れて行っていただき,その大きさ(ダムの規模としては小さいほう)に呆然としました。元々ダムのような巨大なものを造りたくて土木の道に進んだのと,こういった現場に行きたいと思って建設会社を希望していたので,それが目の前に広がっている光景を見て,呆然とした後はワクワク感で一杯でした。何かとても興奮していたのだけは覚えています。その後,導水路トンネルの発破のところまで連れて行っていただき,ちょうど爆薬を装薬しているところを見ることができました。これから発破をかけますと言われ,安全な場所まで退避して,発破の瞬間を待ちました。凄い音と爆風でびっくりしていると,切羽のあたりまで連れて行って下さいました。作業員の方が今発破したところに行って装薬した爆薬跡を一つ一つ見て回っていました。何をされているのかと聞くと,不発のものがあって,後でズリを出すときに誤爆したりしないように確認しているとのことでした。自分には絶対できないなと思いながら見ていました。

 一通り現場見学が終わって,事務所に戻った後東電の所長室に案内されて,所長(すいません。お名前は憶えていません)にご挨拶した後お茶を頂きました。その時,何を思ったのか所長さんに“このダムの建設で何人亡くなったのですか”と聞いて,すごく嫌な顔をされて“現場では安全第一で行っていて,誰も亡くなっていません”と答えられたのを覚えています。今思えばすごく失礼なことを学生ごときが聞いたものだと思い出すたびに恥ずかしさで一杯になります。S君のことをとても笑えません。

 ダム現場に見学に行った時の写真を岩田君が持っていましたので,今から約40年前の先生と3人の写真を載せます。実は,2012年に研究室ができて30年の記念のお祝い会を開いた時に,冊子を作りましょうということで,各期でまとめた時のものです。あの頃は,当然ですが若かったなと思います。先生が全然変わられていないのには驚きました。

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今市ダムの見学