法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

土木学会誌の編集委員に関わったキッカケ

今日は,今から15年ほど前に土木学会誌の編集委員を3年ほど務めたキッカケのお話をしたいと思います。この土木学会誌の編集委員になったお陰で,イラストレータモリナガ・ヨウさんに出会うこともできましたし,結構いろんな業界の人たちからお話しを聞くこともできました。そのキッカケは,やはり一本の電話からでした。

 電話の主は,早稲田大学のK教授からで,“土木学会の全国大会が来年早稲田大学で開催されるので,広報委員に参加してくれませんか”というものでした。それまでも土木学会の委員会に誘っていただいたりしていた関係からかもしれませんが,K教授からの依頼なので断る理由もなく引き受けることにしました。

 この広報委員ですが,主な仕事が土木学会誌の全国大会向けの特集を担当することでした。主担当が,清水建設のN氏と私でした。全国大会のタイトルが“都市再創造のための提言”でしたので,これに沿ってどのような企画にしたらよいか何度か打合せして,過去,現在,未来という時間軸と都市再創造を組み合わせたものにしましょうということで,過去の都市構成については,京都市美術館の館長のM氏にインタビュー(私とN氏が担当)することになりました。その他,私が最もやりたかったゴジラの映画監督をされた手塚氏に“破壊の側から見た都市の有り様”というタイトルでインタビューすることでした。ちょうど私の娘の小学校の同級生に手塚監督のお子さんがいて,妻と監督の奥様が知り合いだったこともあり,その伝手で何とかインタビューさせてもらうところまで段取りしました。実は,これを土木学会誌の編集委員会で挙げたところ,当時の委員長であるI委員長(東大の有名な先生)から,“その企画は面白いので,巻頭部分のインタビュー記事に回すことにします。その企画を学会誌の担当の人に渡してもらいたい”と言われたのです。一番楽しみにしていた企画を取られてしまって,意気消沈していたところ,土木学会のN課長から一緒に参加されたらよいですよと声をかけていただき,学会誌には私の顔は載りませんでしたが,無事東宝の撮影所まで同行することができました。

 この編集委員会が始まる直前に,幹事長をされていた鹿島のA氏から突然声をかけられて,折角だから今度編集委員になってくれないと言われ,A氏からの申し出は断れないので,二つ返事でいいですよと答えてしまいました。まあ,これが編集委員になったキッカケです。

明日は,この特集記事についてもう少しお話したいと思います。