法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

東大寺大仏殿の明治と昭和の大修理

 東大寺の大仏殿は,長い歴史の中で二度の焼失を受けて,その都度復興されています。また,明治と昭和には大修理を行っています。特に,明治の大修理には昨日も書いたようにトラス構造に鉄骨を用いて屋根を支えています。東大寺のような1200年以上続く古寺ならば,建設当時の姿を復元すると思うのですが,そうはしなかった。このことについて東大寺の方にお聞きしたところ,新しい技術を入れることには特に抵抗なかったのでないかといわれました。東大寺は,創建時において当時最新技術であった版築で基礎を構築しています。また,開眼の導師をつとめたのは菩提僊那(ぼだいせんな)というインドの僧侶ですし,シルクロードから運ばれたもので開眼供養の法要を行なっており,国際性も豊かで新しいものを取り入れることに対してむしろ積極的だったと思います。また,鎌倉時代東大寺を再建した俊乗房重源は,当時中国での建築様式であった大仏様を積極的に取り入れたり,定朝派が主流だった仏師に対して,慶派を中心とした造像を行ったりと,新しい技術というか波をどんどん取り入れていっています。重源の頭には元通りに戻すという復元ではなく,新たに造り直す復原ということを念頭に再建していったのでないかと思います。

 明治の大修理において,コンクリートは鬼瓦を固定するために使用されたようです。昭和の大修理の時にそのコンクリートを全てはがしてやり直しています。昭和に大修理をした理由は,大きく撓んでしまった屋根の重量軽減のために,明治の大修理では瓦を減らして屋根を葺いたそうです。そのために瓦と瓦の間に隙間ができてしまい,そこから雨漏りがして野地板が腐ってしまったようです。そこで,瓦の取替えと下地に使用したコンクリートの撤去をして昔ながらの土を敷いて瓦を隙間なく葺き替えたそうです。ただし,そのままではまた屋根が撓んでしまうので,瓦自体の重量軽減を図り,瓦の裏を削ったりして十何種類も試作を繰返し,ようやく割れない軽い瓦が出来上がったそうです。

 土木構造物の場合,通常日常点検を実施し,異常があれば詳細点検を行って,そこで不具合があれば修理をするという維持管理をしています(最近はこのような事後保全ではなく,予防保全が主となっています)。東大寺では,昭和の大修理の時,瓦を含め百年性能維持できる修理を実施したということで,日常的な検査は行っていないとのことでした。ただし,ここ数年公慶上人や聖武天皇の大法要などのイベントが続いており,その度に散華をまくための小屋の仮設製作のために屋根裏に上っているので,その際状況確認を行っているとのことでした。

 2007年当時一番問題になっていたのは,法華堂の須弥壇が結構沈下していて,大きな地震によって仏様が転倒もしくは倒壊する恐れがあり,応急措置を施して定期的に点検を行っていますが,近々に大掛かりな修理が必要とのことでした(2010年~2013年にかけて須弥壇の解体修理が行われています)。

 では,これらの御堂などの解体修理はどのくらいの間隔で行っているのかというと,大体100年に一度くらいは解体修理をするようにしているそうです。ただし,解体修理には莫大な費用がかかることから,なかなか進まないとのことでした。さらに,大仏殿の直下には断層が走っているので,耐震のための対策を行う必要があるとのことでした(その方法などはまだ具体的には決まっていないとのことでした)。

 東大寺の大仏殿に行ってみるとわかるのですが,大仏殿には四天王のうち,広目天多聞天の二天の立像しかなく,増長天持国天は首しかありません。江戸時代の再建時に資金が途中で尽きてしまい,二天しか製作できなかったとのことでした。このことについて,お聞きしたところ,昭和の大修理が終わった後,復元の話もあったそうですが,修理をしなければいけない堂宇が多くあり,実現できていないとのことでした。東大寺は檀家を持たないお寺なので,基本的に拝観料で維持しているところがあり(国からの支援も文化財保護という名目であります),それこそ鎌倉時代の重源のように勧進するか,薬師寺のように写経による浄財を集めるかしかないそうです。いずれにしても緊急性を要するものから順番に修理などを行っていくことになるそうです。御堂や仏像だけでなく,古文書などの修復を行っているそうですが,それでも年間で億単位の費用がかかるそうです。建物になるともっと大変とのことでした。

 何年か前の新聞に,東大寺が東塔と西塔の発掘調査を行っているという記事を読みました。そこには,今回の発掘調査によって将来的には近くに建物などがない東塔の復元も視野に入れたいという寺側のコメントもありました。

 東大寺には,創建当時薬師寺のように東西に七重の塔(高さが70mもしくは100mあったと言われています)が建っていたそうです。ただし,西塔は934年に落雷で失われ,東塔は平重衡による兵火で焼失してしまいました。東塔については,重源らによって再建されたものの,1362年に落雷で焼失してしまい,その後は再建されないまま現在に至っています。2021年から東塔の基壇の整備を行う予定ということなので,もしかしたら私が生きている間に再建されるかもしれません。