法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

高松塚古墳壁画の一般公開へ(前編)

 2日前のニュースで,奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画が12年に及ぶ修復作業を終えて,7月18日~24日に一般公開されるというニュースを見ました。この12年前の石室の取り出しの時,土木学会誌の取材で現地に行って,発掘を指揮された独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所都城発掘調査部の考古第一研究室長(2007年当時)松村恵司氏,実際に作業に当たられた飛鳥建設株式会社代表取締役の左野勝司氏(石屋さんですが,テレビ出演されるなどとても有名な方で,まさかお会いできるとは思ってもみませんでした),有識者として石室の取り出しにいろいろ助言された京都大学防災研究所地番災害研究部門地盤防災解析分野准教授三村衛氏(2007年当時で,現在は京都大学大学院工学研究科都市社会工学専攻の教授)の御三方にインタビューした時のことを書きます。

 土木学会誌で奈良に取材に行くのは,瓦職人の山本清一氏に次いで2回目となります。奈良駅で前回同様,関西支部のT女史,学会のN課長,カメラマンの方と一緒に近鉄に乗って最寄り駅の飛鳥駅まで行って,現地に向かいました。

 以下は,インタビューした時の内容の抜粋です。

 最初に,松村さんに高松塚古墳発見の経緯をお聞きました。高松塚古墳の壁画は,1972年に奈良県が明日香村の村史を編纂するために,古墳を発掘して発見されたものです。日本では初の古墳壁画発見となりました。その後,保存事業は国が行ってきたのですが,2000年前後から壁画にカビが発生し,劣化が目立つようになったそうです。カビの原因は,ダニが石室で繁殖し(元々鎌倉時代に盗掘にあつており,その穴が開いて,そこに前室を設けて,外部からの侵入を防いでいましたが,微生物は周囲の地盤などから侵入したのではないかと推察されています),そのダニを食べる虫がカビの菌を持ってなかに侵入して,その虫の死骸からカビが発生するという負の食物連鎖が生じたためだそうです。いろいろ対策を講じたものの,壁画の劣化進行を防止することができない状況となってしまいました。そこで,2005年から有識者による国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会で協議を行った結果,石室を解体し抜本的な保存処理をしなくてはいけないという結論に至ったわけです。解体した石室の壁画に対して10年くらいかけて保存修理を実施し,再度古墳に戻すこととなりました(実際には12年かかったことになります)。

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高松塚古墳の周囲(古墳の周りは土嚢で覆われていました)

 次に,佐野さんに実際に石室の解体作業についてお聞きしました。発掘自体は,奈良文化財研究所の方が進められていくわけですが,石室の大きさやどのような外観状況となっているかは,掘り出してみないとわからない状況でした。何せ掘り出さないとどのような冶具を製作したらよいかも皆目わからないわけです。当然ですが,相手は国宝ですから失敗は許されません。冶具製作をされたT氏の苦労は並大抵ではなかったと思います。

 最初に問題となったのは,吊り上げる前にどのようにして石室を外すかということです。外した瞬間に壁画が破損したりしたら一巻の終わりです。しかも石は一つとして同じものはないので,ひび割れがどの位置に生じているとか,どのあたりが割れているのかわからないわけです。例えば,天井の裏には星の絵があるのですが,その小さな金箔一つも落とすわけにはいかないので,そのあたりは本当に大変でした。当然,調査される先生方も慎重の上に慎重を重ねて行われていました。

実は,解体修理することが決定された後も恒久保存対策検討会では,考古学研究者や古代史研究者の方々で色々な意見が出されていました。石室は,現地にあって価値があるので解体をせずに現状保存し,もし滅びるのであればそれも宿命でやむを得ないという意見がありました。また,解体するために掘り出すとしたら,発掘調査自体学術的な精度を高める必要があり,単に石室を出して解体すればいいという話ではなく,古墳がどのように築かれ,石室がどのように組まれたかを学術的な見地から記録を残していく必要があるという意見もありました。ですので,時間をかけて調査していく必要があったのです。

 今日はここまでにしておきます。明日,この続きを書きたいと思います。一般公開は是非観たいのですが,抽選とのことなので,籤運のない私は到底当たらないと思います。

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古墳の状態を一定に保つためのドレーン