法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

京都市美術館館長へのインタビュー

 2005年の6月初めだったと思いますが,担当のN氏と二人で新幹線に乗って京都に向かいました。お昼過ぎに着いてタクシーで平安神宮まで行き,面会までまだ時間があったので,ここまで来たのですから平安神宮を見ていきましょうということで,大鳥居を抜けて右手に見える京都市美術館を横目で見ながら応天門を抜けて外拝殿で参拝した後,今来た道を戻って京都市美術館(今はリニューアルされて京都市京セラ美術館というそうです)に行きました。入ったところのエントランスのところで受付の方にM館長と打合せで来ましたと告げて,しばらく待っていると,初老の温和そうな方(M館長)が階段から降りてこられて,東京からわざわざお出で頂きありがとうございますと挨拶しながら,会議室(館長室の隣だったように覚えています)に案内されて,お話を伺いました。

 飛鳥時代の歴代遷宮から次第に一つの場所に都が置かれるようになって,平安以降1000年以上京都に都が置かれる経緯から,応仁の乱で京の都が灰燼と化したというのは間違いであるなど,古代から近世まで丁寧にお話しをしていただきました。結局3時間くらいお話をしていただき,とても面白い日本史の講義を聞かせていただいた気分でした。結構知らないことが多くてすごくためになりました。後日M館長が話されたものを書き起こしていただきましたが,A4で20頁以上になったため,とても学会誌に全部掲載できるようなボリュームではなかったので,本当に掻い摘んだダイジェスト版を学会誌に掲載しました。

 インタビューが終わって,まだできたばかりの京都駅の上の階のレストランでN氏と二人お酒を飲みながら今日の話についてお互い興奮しながら語り合いました。結構酔っぱらって新幹線に乗って帰った記憶があります。

 折角なので,M館長が話された内容を私なりに整理したものがあるので,明日以降少しずつ書いていきたいと思います。中学や高校で習う日本史とは一味も二味も違う平安自体から近世までの話ですので,歴史に興味ある方は是非読んでいただければと思います。京都や奈良を観光する際も,ヨーロッパなどの古い街並みなどを観光する際もその歴史的な背景を知っているかどうかで,全く見方が変わってきます。ただ漫然と観光するのではなく,その街並みや建物が刻んできた歴史を知ることは何倍も旅行が楽しくなります。

 明日は,古代国家における歴代遷宮の話から始めたいと思います。