法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた(兵庫県豊岡市の災害復現場,続編)

 兵庫県豊岡市で2004年10月の台風23号円山川の堤防が決壊し,大きな被害を受けた現場の復旧状況と今も残る爪痕を取材した時の話の続きを書きます。無堤防地帯があることに衝撃を受けたのですが,その後の話を聞いて何となく納得したのを覚えています。その話というのは,車窓から見える風景を指さしながら“田んぼと住宅の先に少し丘のようになっているところが見えるでしょう。あそこには,地主さんの家やお寺があります。目の前に見える住宅街は戦後できたものです。昔は,この辺り一帯が田んぼでした。農家などは先ほど見えた丘のあたりにありました。川が氾濫した時も田んぼは水に浸かってしまうのですが,微高地である丘の周辺までは水が浸かることはあまりなかったそうです。それが,戦後人口の増加に伴って,田んぼを潰して宅地にしていったそうです。もちろん,無堤防ではありませんが,浸水しやすい場所にどんどん造成していったんです。”というものでした。私が住んでいるところも昔多摩川が流れていた流域で,歩いて10分ほどのところにはけのみちという崖線があります。ここは,約5~10mほど高くなっているのですが,いわば微高地となっていて多摩川が超えていない境界線のようなものです。もし,多摩川の堤防が決壊すれば,私の家も当然床上浸水してしまうのだろうなと思いました(元々中古の家を買って,リフォームしたのですが,道路から玄関まで約1.5m若高くなっているのも,できるだけ浸水被害を少なくするためだと思います)。

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沖野忠雄先生の石碑

 そんな円山川周辺の被害状況と復旧状況を見ていると,とある側道(田んぼ道のようなところ)に車が止まりました。役所の方が,車を止めたところにある石碑を指さして“沖野忠雄氏の石碑です。土木学会の会長になられた方でもあります。内務省の土木技師として治水や港湾に多くの功績を残されています。土木学会の取材と聞きましたので,やはりここにお連れしなければと思った次第です”と説明されました。石碑を後にして,円山川の支流である出石川(いずしがわと読みます)の復旧工事(護岸工事)の状況を見に行きました。激甚災害に対する国の補助を受けて,川の整備も併せて行われていました。川の整備もただコンクリートブロックで固めるだけでなく,魚道の設置や石を模擬したようなブロックの設置などが行われていました。面白かったのは,石に模したブロックのところどころに穴が開いていて,いろいろな生物などが入り込めるようにしているという説明を受けたことでした。また,しばらく車を走らせていると,養殖場のような場所で何人かの人が作業をしていました。見に行くとオオサンショウウオを生育させていて,復旧工事が終わったら放流させるそうです。出石川は,数少ないオオサンショウウオの生息場所だそうで,その保護のための養殖場だそうです。出石川は,その他にもスナヤツメなどの生息も確認されているそうです。出石川自体自然豊かな川のようです。昔だったら,チャンネル型の水路のようにしてしまったのでしょうが,護岸自体を緩斜面でかつ石積みのような形状にし,脇に魚道も設けていて,ただ復旧するのでなく,環境保全も兼ねた復旧工事であることをあらためて思いました。

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出石川の魚道

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オオサンショウウオの調査わしている人たち

 目の前でオオサンショウウオが見られたのは,とても感動的でした。出石川の護岸の近くには土管のような穴があり,これは何かと聞いたらオオサンショウウオの巣穴になるものだと説明されました。この穴から出られなくなってしまったらと思った瞬間,井伏鱒二の小説の“山椒魚”を思い出してしまいました。まあ,小説のようなことはないでしょうが,オオサンショウウオさん,ずっと巣穴に籠らないようにしてくださいとつぶやきながら,現場を後にしました。

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オオサンショウウオ(大きさを測っているところ)

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これが巣穴?