法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

小学生の頃(その2)

 小学生の時は,とにかく学校から帰るとすぐに,近くのお宮さん(八幡様)に行って,近所の子をいろいろなことをして遊んでいました。鳥居があって,結構大きな木が鬱蒼と生えているのですが,お宮さんの境内には,家が何故か4軒あって,鳥居を潜った左手の家の同級生のよっちゃんといつも遊んでいました。夏は蝉を取ったり,石灯籠の下に穴を掘って怒られたり,大きな木の根が地上に飛び出しているところを道路に見立てて,その下を掘って,水を流したりしました。水は,4軒あるうちの1軒が家の外に蛇口があったので,よっちゃんの家からホースを持ってきて,蛇口に繋いでいました。後から自分の家の水道代が最近やけに高いのだけど,どこかで漏れているのかと親同士で話しているのを聞いて,それからはそこから水をもらうのをやめました。秋から冬にかけては,境内の落葉を集めて,その中にさつま芋をくめて,焚火をしながら焼芋になるのを待ったりしていました。定番は,鬼ごっこだったり,缶蹴りだったりでした。

 最近,実家に戻ったときにお宮さんに行ったのですが,堤防の拡張で木は伐採されて,昔あった家もなくなっていました。すごく広い境内だと思っていたのですが,とても狭くて,こんなところでよく鬼ごっこなんかしていたものだと思いました。キャッチボールしたりもしていたので,広いイメージがあったのですが,子供の目線と大人の目線の違いなのかもしれません。お宮さんの近くに後藤君という子がいて,この子ともよく遊びました。家の近くからお宮さんの方に用水路というか小さな河川(どぶ川)があって,もちろん柵なんてものはなくて,その擁壁の上を歩たりしていました(今だったら怖くて歩けませんが)。そのどぶ川に面して機織り(織機工場)があって,年中大きな音で洋服の生地を織っていました。ハタ屋さんと呼んでいた家で,私が小さい頃はおばあさんとその息子夫婦で工場をやっていたと思います。まだ,水洗になる前だったので,どぶ川沿いに便所の外に焼き物の手水鉢が置いてあって(ちょうど擁壁の上),後藤君と二人でどぶ川の擁壁の上を歩いていくとき邪魔になるので,見つけてはどぶ川に放り込んでいました。何回かするうちにそこのおばあさんにえらく怒られたのを覚えています。

 他にも,牛乳配達のバイクに跨ってそのまま倒してしまい,荷台に乗っていた牛乳瓶を何十本も割ってしまったり,お宮さんの境内の1軒の玄関口の前で石を地面に叩きつけて(きっと石を割りたかったのだと思います),玄関のガラス戸のガラスを割ったりと結構いろいろやらかしたのを思い出しました。あの当時は,怒られはしましたが,その後お宮さんに出入り禁止だとかそんなことはなく,子供のやったことだからという感じで親も含めていろいろ制限されることはありませんでした。大らかな時代だったのではないかと思います。

 何か芋蔓式にいろいろ出てくるので,また気分が乗ったら子供自体のことを書きたいと思います。