法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

大掃除

 昨日から,家の大掃除を始めました。28日から始める予定だったのですが,いろいろ書類の片付けがあって,午前中は小金井の研究に行き,午後は市ヶ谷の研究室に行って,溜まっていた荷物を学科事務室から持ってきて,整理をするとともに,掃除機をかけて部屋の清掃をしました。例年,市ヶ谷に行く最後の日にしているのですが,このコロナ禍で12月はほとんど市ヶ谷に行っていないので,なかなか片付けも掃除もできませんでした。最初は26日に行く予定だったのですが,家の用事があって28日に行って行うことにしました。そろそろ研究室の私物も計画的に少しずつ整理していかねばならないと思っています(大量のプラモデルの移動と,書類の整理など)。まだまだ時間はありますが,そう思って日々の生活に追われていると,あっという間に時間が過ぎてしまうので,年明けから少しずつ始められたらと思っています。とりあえず,市ヶ谷の研究室の掃除も済んで,29日から家の掃除を始めました。例年,私の担当は家じゅうの窓ガラスをきれいにすることと,お風呂掃除です。以前は,障子の張り替えもしていたのですが,毎年張り替えることもないかなということで,数年に一回の張り替えとしました。昨日は,朝から一日かけて家じゅうの窓拭きをしました。実は,家の窓拭きは実家にいるときからしていました。小学生のころは,窓一枚でいくらというようにしてバイトのような形式での小遣い稼ぎになっていました。お年玉プラスアルファということで,一生懸命窓拭きをした記憶があります。ただし,ちゃんと窓がきれいに拭けていないと減額されました(父が厳しい査定をしていました)。子供なりにちゃんとしないとお金はもらえないと身を以て教えられていたのかもしれません。この窓拭きは大学を出て,東京にいくまで続けていました(さすがに大学生になってからは,お金をもらっていませんでしたが,高校生までは窓拭きするとバイト代をくれていました)。小さいころから窓をきれいに拭くくせがついているのか,家の窓拭きも結構きちんとするようにしています。まずは,外せる窓はいったん外して(大きなものはさすがに外すのが大変なのでしませんが,外して持てるくらいの大きさのものは外します),水拭き,クリーナーを付けての窓拭き,その後乾拭きを2回行います。窓を外すのは,外側で手が届かないところがあるので,拭き残しがないようすることと,桟に溜まったゴミなどをきれいに取り除くためです。これを全部するので,小さい我が家でも1日仕事になります。最近は,この窓拭きをすると腰が痛くて仕方ありません。結構中腰での作業なので,腰の負担が大きく,年々窓拭きもきつくなってきました。それでもこの窓拭きを終えると一年も終わりかなという気になります。風呂掃除は,普段から妻が掃除しているので,それほど汚いわけではないのですが,それでも一年間の水垢が結構壁についていたりするので,それらをきれいに取り除いたりしていると1日仕事にはなりませんが,半日以上かかります。このふたつの掃除が終わるといよいよ年の瀬かなと思います。後は,正月三ヶ日の食材などの買い出しに行けば,大晦日を迎えることになります。この大掃除いつまで続けられるかわかりませんが,体力が続く限りしていきたいと思っています。

SECOM

 数年前,私の家の二軒先に空き巣が入る事件がありました。それをきっかけに私の家の周りの人たちはこぞって警備会社と保安のための警備システムの契約を結びました。私の家も取られるようなものはありませんが,最近では泥棒と出くわして殺傷事件になることがあるという話を聞いたので,そんな物騒なことが起こったら大変と思いSECOMと契約をしました。警備会社との契約は,確か私が在外研究に行くことが決まっていて,家に妻と娘と犬しかいなくなってしまうのもあったと思います。契約は,いろいろなパターンがあったと思います。私の家は,外部からの侵入しそうな扉や窓にセンサを取り付けて,作動中に窓や扉が開くとすぐに警備会社に連絡が行って,解除の連絡がなければ警備会社の方が直接家に急行してくれるものを選びました。私が在外研究に行っている間は,毎日作動させていたそうです。私が帰国してからも継続して契約することにしました。最初のころは慣れなくて,警備システムを作動させたまま,朝窓を開けてアラームが鳴って慌てて解除したことが何度もありました。最近は,慣れてしまったことと,外出時にイチイチ警備システムを作動させると帰宅時に解除するのが面倒になって,私が最後に出るときは作動させるのをしないで出てしまうことがよくあります。

 昨日というか今日の夜中の1時に突然家の鍵が開いて,下から男の人の声がしました。私は熟睡していたので,犬が吠える声でようやく目が覚め,目ボケ眼で玄関に行きました。そこには,SECOMの方がいて“御宅は停電になっていませんか?”と聞かれました。部屋の明かりのスイッチを入れると付いたので“停電はしていませんが”と答えると“警備システムが突然ダウンしましたので,御宅に何度かお電話しましたが,出られませんでしたので何かあったのかと思い,スペアキーで家に入りました”といわれました。リビングでついているはずのDysonのヒータが止まっていました。“ブレーカの場所はどこですか”と聞かれ,キッチンに行ってみるとリビング周辺のブレーカが落ちていました。“このブレーカのところにシステムの電源もあったので,これでダウンしたようです。これから復旧します”といわれ,ブレーカを上げて1分ほどでシステムが復旧しました。その間,私は犬がとびかからないようにしっかり押さえていました。頭が朦朧としているところに,“システムも復旧しましたので,これで戻ります”といわれ,開けたスペアキーを取り出して袋に入れて“この袋のところにサインしてください”といわれました。家の鍵を使用したことを確認してもらうためだそうです。SECOMの方が帰られた後,妻が下りてきて“Dysonのヒータ強力だから,それでブレーカ落ちたみたい”といいました。実は,リビングのエアコンは家族が寝た後は切るようにしていたのですが,リビングで寝ている犬が寒そうにしているので,部屋全体温めるよりは,ヒータの方がよいのではいうことで寝るときにヒータを付けるようにしました。それを前日から始めたのですが,初日は何もなかったので,大丈夫と思っていたのです。初日は,ブレーカが落ちる寸前で辛うじて堪えたようだったのですが,2日目は電流オーバーでブレーカが落ちてしまったみたいです。今日からは,犬用の床暖で様子を見ることにします。

土木学会誌

 すでに,一部のSNSなどで公開されており,情報公開が解禁になったと思いますので,ここでも紹介したいと思います。土木学会誌の表紙に1月号からモリナガ・ヨウさんがイラストを描き,私がそれについてコメントを書くことになりました。この表紙の企画は“土木まくのうち”を始めて間もない時に,事務局のSさんから“来年からの土木学会の表紙に土木に関わるイラストを2年間に渡って描いてもらう企画があり,モリナガさんとHさんの名前が挙がっています”と言われました。私は,これはまたとない企画なので諸手を挙げて賛成しましたが,モリナガさんはその頃超多忙で(今でも余り状況は変わっていませんが),是非やりたいが現状考えると二の足を踏んでしまいますと言われました。土木まくのうちは,モリナガさんのスケジュールに合わせて,不定期連載としていたので,御本人も比較的気楽に取材やイラスト描きができたと思います。一方,土木学会誌の表紙ですと,毎月のことになるので,なかなかハードなスケジュールとなり,何本も連載を抱えているモリナガさんとしては,受けたいのは山々だけれども,正直やっていけるのか不安というのが本音だったと思います。企画自体は,もう一人のHさんとなり,2019年1月号から2020年12月号まで担当されることになりました。モリナガさんと私は,その間“土木まくのうち”とweb版の“土木こぼれ話”を不定期で学会誌の裏表紙と学会のSNSに掲載していきました。土木まくのうち自体は,全部で13回掲載されました。

 今年の春に再び事務局のSさんから2021年1月号からの表紙を是非モリナガさんに描いてもらいたいと次の編集委員長はじめ三役から要望があり,今度はモリナガさんも引き受けることになりました。具体的にどんな表紙にしていくのかという打合せを行うことになったのですが,コロナ禍ということもあり,対面で話をすることもできなかったので,オンラインで次期編集委員会の三役(委員長,副委員長,幹事長),担当する編集委員のI氏,事務局のS氏,土木まくのうちで一緒に取材に行っている写真家のO氏,モリナガさんと私でzoomを使って行いました。土木学会には各支部があり,表紙のデザインとなると各支部での目玉となるものを万遍なく行う必要があります。そのため,土木まくのうちや10年前にやっていたモリナガ・ヨウのぶらっとぉ土木現場のように好きな場所に取材に行くというわけにはいきません。また,毎月のように遠くまで現場取材する時間を確保することが難しいので,比較的身近なものなども対象にしていく必要があります。ぶらっとぉ土木現場の時は,とりあえず施工中の現場に行くことが最優先でしたので,私と事務局のN課長で案を出し合って,編集委員会に候補を上げてどんどん取材していくという形で行っていきました。まだ,モリナガさんも私もフットワークが軽かったので,結構きつかったですが,楽しくできました。表紙の場合には,いろいろ制約があるので,勝手気ままに行うことができませんが,イメージとしては,土木まくのうちが表紙になった感じで行くことは了承されました。これから,毎月変わる表紙のイラストを楽しみにしていただければと思います。刺身のツマ程度の私のコメントも読んでいただければ幸いです。

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土木学会誌1月号表紙

 

打出の小槌

 昨日は,例年恒例の打出の小槌の交換に歌舞伎座まで行ってきました。何年か前に子供が友達伝いで聞いた話で,歌舞伎座の打出の小槌を持っていると運が開ける(いろいろ願いが叶う)というもので,それだったら一度試しに買ってみようということになって,それ以降年末もしくは年明けに歌舞伎座に行くようになりました(私自身,何か願いが叶ったかどうか定かではありませんが)。今年は,いろいろ厄災が続いたので,その厄落としも兼ねて,小槌を交換することにしました。古い小槌はその場で引き取ってもらって,御焚上してもらえます。毎年,小槌の中に入れる口上が面白くてついつい聞き入ってしまいます。小槌(大きさは小指の先くらいの大きさです)の中にいろいろな縁起物を十種類(今年は一つ増えて十一種類)順番に口上を述べながら入れていきます。最初に入れるのは七福神の恵比寿様(七福神の中で唯一日本古来の神様です。金運財運の神様で,商売繁盛の神様でもあります。右手に釣竿,左手に鯛(おめでたい)を持っています),次に打出の小槌を持った大黒様(五穀豊穣の神様,恵比寿様が海(漁業)の神様で,大黒様が陸(農業)の神様になります)を入れます。この2つで家内安全,商売繁盛になるということです。次に瓢箪を6個入れます。六つ合わせて無病箪,無病息災になるということです。次に蛙を入れます。無事帰るという願いをかけたものです。次に入れる賽子は,どこに落としても目が出ることから,何をしてもちゃんとものになるということからきているようです。次に小判をいれます。これは,単純にお金に困らないように(不自由が無いように),またお金に恵まれますようにというものです。南天は(南天の実になぞらえて,赤珊瑚を入れます),難を転ずるという語呂合わせから来ていて,悪いものが近づかないように,また悪い出会いが無いようにというものです。次に入れる破魔矢は,魔を射る,厄を落とすという魔除けだそうです。狸は,他を抜くと書くそうです。蕎麦屋の前の狸の置物は,他の店より秀でている(美味しい)という意味だそうです。狸の腹が白いので,腹黒(裏表がある)ではないという意味もあるそうです。達磨,七転八起で,必ず良い方に起き上がるということだそうです。例年は,ここまで小槌に入れて,蓋をするのですが,今年はこれにアマビエが加わりました。厄病退散の意味で新しく加わったそうです。小槌の中は,神様から動物,妖怪まで入ったものとなり,どれも災いから守り,運が開けるものです。お願いするときは,小槌を右手で振らなくてはいけないそうです。入れる間にもいろいろ口上が加わって,なかなか面白いものです。昔は,七味唐辛子やガマの油,バナナのたたき売り(フーテンの寅さんに出てきます)など,口上を述べながらの露天商が結構あったのですが,今はそういうものもなくなってしまいました。

 打出の小槌を交換した後は,これも恒例となっている銀座にあるロシア料理を食べに行きました。昔は,渋谷にあったのですが,そこが閉店となって,今はこの銀座でお店を開いています。どれも美味しくて,年に何回か行っています。行ったのが昼間だったので,あまり飲みすぎないようにしましたが,美味しい料理を食べているとついついお酒が進んでしまいます。

研究室の大掃除

 大学の講義は一昨日で終了し,昨日は研究室の大掃除を行いました。大学(研究室)に来たくないという学生を除いて全員が集合し,1年間で溜まった埃などを掃除して,使用した実験機器や自分たちの机回り,研究室の床掃除などを行いました。実験機器などの掃除は,卒業研究や修士研究をサポートしてくれた感謝の気持ちも含まれていると思っています。また,普段机回りを汚くしている学生たちも掃除と整理が少しはできたかなと思っています(すぐに元に戻ってしまうでしょうが)。本来ならば,大掃除の後皆で一年間ご苦労様でしたということで,納会をしているのですが,このコロナ禍でそれも止む無く取りやめとしました。別にいつもいる研究室の学生だけで乾杯して,昼食代わりにピザを食べるくらいなので,20~30分で終わるものなのですが,そんなことしたら危険ですというものがいて(普段の昼食と変わらないのですし,別に強制していないので,いやであれば参加しなければよいのですが),それを無視して行った場合,どこで何を言うかわからないので,中止しました。頑張って掃除してくれた学生たちには大変申し訳なく思っていますが,これも致し方ない措置と思ってもらうしかないと思っています。昨日も書きましたが,自分だけ安全な場所にいて,実際に作業している者たちの差配をするような輩は,誰もついてこないと思いますし,少なくとも私はそういう輩と一緒に仕事をしたいと思いません。

 昨日は,研究室の大掃除とともに,卒論生が私に卒論のドラフトを提出する日でもあります。大掃除が終わると各自提出までの時間,ドラフトの見直しをしたり,プリントアウトしたりしていました。電子ファイルでもらうと,修正もファイル内に打込まなければならないので,私自身大変であることから,重いですが紙媒体で卒論のドラフトはもらうようにしています。年末年始の私の恒例の仕事(いつも冬休みの宿題と言っています)になっています。時間内に何とか全員プリントアウトして(学校に来なかった学生は心優しい他の学生がプリントアウトしてあげていました。来なかった学生はその学生にちゃんと御礼も言っていないみたいですが),院生から私に重たい束が渡されました。今年は,読める内容であればよいのですが,例年読めない内容が結構あって,全面書き直しさせている学生が何人もいます。彼らは,これまで長い文章を書いていないことと,技術論文をほとんど書いたことがないので,最初から出来の良いものが出てくるわけではないのですが,どんな形であれまとめないと始まらないので,一種の通過儀礼として行っています。年明けに各自渡して,審査までの1か月間必死になって彼らは修正することになります。自分も40年前に同じように大変な思いをして卒論を書きあげたのを,学生たちの論文を読みながら思い出すことがよくあります。今から思うとその時は大変だったのですが,それをしたお蔭で今があると思っています。

 プリントアウトした論文の束を抱えながら,院生たちとお疲れ様会をしました。例年思うのですが,院生がいなかったら研究室はとても回らないので,彼女たちには感謝しかありません。年明けから卒論審査,修論審査,進級卒洛の判定までは一年で一番忙しい時期になります。歳とともに年々きつくなってきているので,しっかり休養する予定ですが,次は家の大掃除か待っています。本当,貧乏暇なしです。

シビルエンジニアの資質

 土木技術者(シビルエンジニア)の仕事において,現場の場合時には危険が伴う作業もあります。危険だから自分はできるだけ関わらず,安全なところから作業員に指示だけする者がいます。そんな輩は,とてもシビルエンジニアとはいえないと私は思っています。危険な作業だからこそ,事故が起こらないように現場の最前線に立って作業員に指示するのがシビルエンジニアの役目だと思っています。以前,現場で勤務していた時,上司から“現場をその目で見なければ,現場のことは何も分からないぞ”といわれたことがあります。“事務所でデスクワークばかりしていては,今現場で起っていることが決して見えないので,どんなに忙しくても1日に最低2回は現場を見て回れ”と言われました。特に何もなくても現場を見て回れば,どんな作業が行われていて,時には結構危険な作業を行っている場合があります。そんな時は,自ら手を出すわけではないにしても,安全に作業が進められているかどうか見ているだけでも作業員は緊張して作業するので,事故が起こりにくくなります。吉田兼好徒然草の第百九段に“高名の木登り”という話があります。木登りの名人が弟子に高い木に登らせて小枝を落とす作業をさせていた時,高い木の上の方では何も声を掛けず見守るだけだったのですが,飛び降りても大丈夫な低いところまで下りてきた時に,名人が“気を付けて降りなさい”と弟子に声をかけます。木から降りてきた弟子が“木の高いところにいた時,何も声をかけないで,低いところに下りてきた時に何故注意するような声を掛けたのですか”と名人に訊ねす。すると,名人は“高いところは自分でも怖いと思って自ら気を付けるが,低いところだと,もう大丈夫と思って気が緩んで却って怪我をするものだ”と答えたそうです。現場での転落事故は,確かに高所よりも2m前後くらいで起ることが多いそうです。職員がしっかり現場で見守っていれば,作業員も気が緩むことなく緊張感を持って作業します。一見何でもないことのように思いますが,現場で安全に作業が進めるためには非常に重要なことだと私は思っています。

 最近の学生の中には,大変な作業などを回避しようとする傾向があります。また,このコロナ禍で感染が怖いので大学に来ようとしない学生もいます。人それぞれですので,いろいろな考えがあると思いますが,例えば研究室の感染が心配であるならば,自ら出向いて率先して除菌作業をすればよいと私は思います。危険だから,危ないから近づかないのではなく,危険であればそれをどのようにしてなくすかの対策を講じようとすることを考えるべきではないでしょうか。こんな学生が社会に出て,現場での仕事に就くようならば,私だったら一緒に仕事はしなくありません。御託を並べる前に自らが範を示すことがシビルエンジニアだと思っています。安全なところから現場も見ないで指示するような輩には誰も付いてこないと思います。こういう輩は,得てしてさももっともらしい正論を述べることが多いのですが,決して自分から手を下すことはありません。作業員と一緒になって作業することによって,一体感が生まれてくるでしょうし,お互いの信頼感も生まれてきます。これこそが,シビルエンジニアが持つべき資質ではないかと私は思います。

ガンダムを動かせ!

 月曜日の22時からNHKで“ガンダムを動かせ!”の放映があり,録画しておいたものを一昨日観ました。18日にもBSプレミアムで“生中継!ガンダム動く”という番組を90分にわたってやっていたのは知っていたのですが,録るのを忘れていて月曜日の番組を録画したのです。横浜の山下埠頭に実物大(高さ18m)のガンダムが出現し,しかも可動するというものです。これまでにもお台場で10年以上前に実物大のガンダム(こちらは可動しません)が造られていますが,今回のように実際に動く姿(もちろん自立して,二足歩行はしていません)は初めてです。プラモデルを造る人間からすれば,ビッグスケール,特に1/1スケールというものには一種の憧れとそれを製作しようとする人たちに対する畏敬の念を感じます(私だけかもしれませんが)。ジュラシックパーク(1993年公開,原作:マイケル・クライトン,監督:スティーブン・スピルバーグ,出演:サム・ニールローラ・ダーン他)で,ティラノサウルスのCGを映画館で観た時,全身が震えるのを感じました。本当に生きているようにしか見えなかったのです。それと同じような感動がこの動くガンダムにも感じました。

 機動戦士ガンダムの初放送は,私が大学2年生の時(1979年)に名古屋テレビで毎週土曜日の夕方17時30分からで,買ったばかりのソニーのビデオデッキ(23万円くらいしたと思います)で全話録画して何回も観た覚えがあります。それくらい衝撃的なアニメでした。初放映当時は全く視聴率が取れず,とても低かったと記憶しています(宇宙戦艦ヤマトも最初の放送はとても視聴率が低く,途中で打ち切りのような形で話が最後はとんでしまったと記憶しています)。その後,再放送で人気が出て,バンダイから次々とプラモデルが発売され,いわゆるガンプラブームが起こったと思います。当時行きつけの模型屋で,常連の強みを生かして新発売のガンプラを取り置きしてもらっていました。大体作製したと思いますが,テレビに出ていない派生型のようなモビルスーツモビルアーマーは作らないまま積んでおく状態でした(今でも実家の押し入れに置いてあると思います)。戦車模型の製作も一緒にやっていたので,自分の部屋にどんどん模型が増えてきました。時間もあって,アルバイトでお金もそこそこあったので,一番楽しかった時かもしれません。

 あれから40年経って,まさか実物大のそれも可動するガンダムをこの目で見ること(まだ山下埠頭まで行っていないので,テレビの画面を通してということになりますが)ができるとは夢にも思っていませんでした。そういえば,ここ数年結構リアルに動く恐竜が話題になっていますので,そのうち,アニメと同じように自立して二足歩行する実物大のガンダムを見ることができるかもしれません。前田建設工業ファンタジー営業部というのがあり,本になったり,映画になったりしています。子供の頃の空想の世界だったものが,現実世界に舞い降りてくるのも情熱さえあれば実現可能なのかもしれません。次は,是非ゴジラの1/1で可動するものが見たいですが,流石に大きすぎて難しいかもしれません。

 コンクリートの世界でも,昔こんなコンクリートがあったらよいなと思っていたものが,実現しているのを目のあたりにしていると,やってできないことはないと思っています。難しいからこと挑戦するのが土木をはじめとする工学の世界(実学の世界)なのかもしれません。