法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

修論審査会

 昨日は,修論審査会でした。卒論審査と同様に全てオンラインで実施しました。審査を受ける人数も16人と少ないですし,聴講の学生を併せても50人程度なので,マルチメディアホールでも十分感染対策をとれた状態で対面による開催もできたのですが,審査を受ける学生の中には,登校するのを躊躇うのもいたこともあり,また緊急事態宣言下において数十人規模で1日中同じ室内にいることへの懸念もあったので,オンラインでの開催としました。操作自体,審査を受ける大学院生はTA等を行っているので,問題ありませんでした。むしろ私の方が操作方法をよく理解していなかったので,審査の最初の方で設定として画面の共有で全員が画面共有していなかったために,画面が共有できなくて少し手間取りました。しかしながら,この日タイマー役を嘗て出てくれた大学院1年のKさんにそのあたりの修正をしてもらったので大きなトラブルにならず,スムーズな画面切り替えができました。タイマーの設定の仕方もよくわからなかったので,そこもKさんに全てお任せしました。このあたりは自分で操作していないので,どうしてよいかわからなかったので,大変助かりました。

 審査は,午前と午後の2セッションで,発表が10分,質疑は質問がなくなるまで無制限としています。修論審査を受ける大学院生は,学部生と違って教員からの質問に対しても比較的ちゃんと答えていました(全然違うことをベラベラとしゃべっている学生もいましたが,大体の学生は質問内容を理解して,もしくは理解できない場合はちゃんと内容確認して答えていました)。今回,ちょっと問題になったのは審査時に各先生方が判断基準にしている一つである概要集について,複数の学生が本文の概要とabstractをアップしていました。修士論文作成要領には,「概要原稿の書式は,ページ数も含め紀要原稿の書き方と同じとします。紀要原稿の書き方やテンプレートについては,デザイン工学研究科ホームページのお知らせを参照してください。」と明確に示してあります。20年間修論審査をおこなってきましたが,こんなことは初めてでした。

 確かに,基本的に紀要と概要集という名称(概要集は発表番号と頁を入れるようにしてあることが異なっているだけです)だけ異なるだけなので,紀要だけ提出してもらえればよいような気もしますが,ルールとして決めている以上それに従ってもらう必要があります。先輩学生がいない研究室なのかとも思いましたが,そのあたりは同期で確認し合っているものと思っていました。厳格にいってしまえば,違った書類を提出したので,審査の対象にならないことになってしまいますが,紀要をちゃんと提出しているので,単にしっかり要領を読んでいなかっただけとは思います。ただし,社会に出て違った書類を出した段階で評価されないことになってしまいます。提出期限の厳守と提出種類の内容確認については,社会人として基本中の基本になることですので,その点については意識して行ってもらいたかったと思っています。私の研究室の学生は,まあ無難な発表と質疑応答であったのですが,論文とりまとめがちょっと不十分であったので,各先生からそれなりの評価となっていました。いろいろありましたが,大きなトラブルもなく無事にオンラインによる修論審査会を終えられて,専攻主任として少し肩の荷が下りた気がします。後は,無事社会に旅立ってくれればと思っています。

低炭素社会から脱炭素社会へ

 昨日から,“CO2からコンクリート”という見出しで,大成建設からプレス発表があり,新聞各社に記事が掲載されました。内容としては,二酸化炭素(CO2)を原料とした炭酸カルシウムを使用するとしています。詳しい内容が書かれた技術資料が開示されていないのでよくわかりませんが,水酸化カルシウムか何かと二酸化炭素を結合させて炭酸カルシウムにしたものを粉体としてコンクリートに混合しているイメージかなと思っています。記事によれば,コンクリート1m3当たりで最大170kgのCO2を封じ込めることができるとしています。単位セメント量を300kg/m3とした場合,セメント製造時に発生する二酸化炭素量が約210kg(セメント1トン当たりの二酸化炭素排出量は約700kgといわれています)なので,脱炭素とまでいきませんが,約80%低減させることができることになります。高炉スラグ微粉末やフライアッシュなどを用いた混合セメントであれば,例えば高炉セメントB種であればセメント製造由来以外で約40kg二酸化炭素を取り込むことができ,フライアッシュB種の場合でもセメント製造時の二酸化炭素に相当する量を取り込むことができる計算になります。まさに脱炭素といえます。コンクリート自体の性能としても石灰石微粉末を添加するのとほぼ同様でしょうから,特に問題ないと思います。二酸化炭素とカルシウムをどのような方法を用いて炭酸カルシウムを生成させたのかが気になるところではあります。しかしながら,コンクリートを用いている建設業界にとっては朗報の一つと言えるのではないでしょうか。

 他方,本日ACIのネットニュースにおいて,ミシガン大学の研究成果が報告されていました。ミシガン大学では,二酸化炭素をコンクリートに注入して有用な鉱物に変換することによって,CO2排出量を劇的に削減することができたと報告していて,コンクリートの特性として,靭性に長けていて曲げ変形が通常のコンクリートよりも大きくなるとしています。このコンクリートは,鹿島が開発したCO2-SUICOMという二酸化炭素を強制的にコンクリート中に吸収・反応させたもので,セメント製造時に出る二酸化炭素とほぼ同量を吸収させることができるとしていて,二酸化炭素排出量をほぼゼロにできるものとして,今から9年前にプレスリリースしたものに類似したものではと思っています。

 一般に,コンクリートの炭素排出量の約80%はセメント製造時によるものと言われています。これは,世界の二酸化炭素(CO2)排出量の約8%を占めると言われていて,例えば,セメント産業を一つの国で例えるとすると,世界で3番目に大きな排出国に相当するそうです。また,その排出量は中国やアメリカとそれほど変わらないと言われています。実は,二酸化炭素をまき散らしているように思える飛行機の航空燃料(2.5%)よりも多くのCO2を排出していて,世界の農業事業(12%)に迫る量だとも言われています。以外と見過ごされやすいのですが,建設業界での低炭素,脱炭素は非常に重要な課題の一つと言えるのです。政府も今国会で地球温暖化対策推進法の改正案を提出する予定だそうです。その基本理念に「2050年までの脱炭素社会の実現」と具体的な年限を明記するとともに,同年までに温室効果ガス排出量の実質ゼロを目指すとする政府目標の達成を掲げるそうです。低炭素社会ではなく,脱炭素社会に向けた検討が急務になってきているように思います。

土木のヒーロー・ヒロイン

 土木の仕事は,個ではなく衆で行うものであり,自分の成果は明確ではなく,努力した割には対価が少ない職種といえます。はっきり言って,楽をして稼ぐことのできる仕事とは真逆のところにある職業ではないでしょうか。しかしながら,土木の仕事をよく知ってもらえば,どんな苦労もいとわないようなやりがいのある職業と思ってもらえるのではないかとも思っています。

 土木の仕事は,明治維新以降富国強兵の元に,欧米からいろいろなインフラの技術を導入して,鉄道建設や上下水道の整備,ダムの建設や道路整備などを行ってきました。そこには,これからの日本を変えていくのだという夢があり,それを実現していこうとした土木技術者たちがいました。それを見ていた人たちの多くは,土木技術者に対して敬意と尊敬,憧れを持ったのではないかと思います。

 それから150年以上経過した現代は,膨大なインフラストックの老朽化への対応に追われ,地球温暖化を防ぐために化石燃料に依存してきたエネルギーを再生可能エネルギーへと変換することが求められています。また,このまま少子高齢化が進めば,人口減少社会へ突入していくことから,それらを踏まえた新しい国土形成を効率的かつ迅速に行っていく必要があるのも事実です。このような時代の大変換期であるからこそ,明治以来の国の再構築の局面だということを国民全員が実感してくれるようになれば,土木はやりがいのある魅力ある仕事として再評価されることになると思っています。そのためにも,土木のことをよく知ってもらう必要があります。

 では,どのように知ってもらうのかというと,土木における憧れのヒーローやヒロインを生み出すことだと私は思っています。商業製品の多くは,商品開発を行う際,スポンサーからの依頼で商品に関わる多くのヒーローやヒロインが生み出されてきました。さらに,マスコミなどとタイアップしてテレビなどで露出を多くして,世間の注目を集めるようにもしてきました。今こそ,土木分野でも憧れのヒーローやヒロインを生み出すことが必要になってきていると思っています。

ど んなヒーローやヒロインにしていくかというと,スーパーマンのように普段は他の人たちと変わらない普通の生活を送っていますが,ひとたび災害やビッグプロジェクトがあると,作業服に着替えてどんな困難な作業にも立ち向かうという設定です。

 では,具体的にどうするのかといえば,映画やテレビドラマ,SNSを使った動画配信などのマスメディアを利用することです。世間のほとんどの人は土木の仕事が如何にすごいものなのか知らないのですから,それを世間に知らしめることが最初だと思っています。陰ながら人々の日々の生活を守っているのが土木の仕事であり,まさに土木技術者は世間の人々にとってヒーローやヒロインなのだと知ってもらうのです。そのためにも,今ブログで連載しているような土木の映画を是非製作すべきと思っています。半分妄想ですが,半分は実現したい夢だと思っています。そのためには,何をしたらよいのかは今のところ分かりませんが,準備だけはしておこうと思っています。

花束みたいな恋をした

 昨日,妻からニュースの動画画像が送られてきました。調布が映画の聖地巡礼になってるのがニュースでやっていたから送ったというものでした。“花束みたいな恋をした”という1月29日から公開になっている映画です。菅田将暉さんと有村架純さんが主演の映画ですが,予告編も観たことがなかったので,全くノーマークでした。妻の友達は,映画のエキストラとして出ているそうで,確かに予告編をみただけでも,調布界隈で結構ロケをしているのがわかります。二人の最初の出会いは,明大前なのですが,生活を始めるところは多摩川沿いのアパートで,調布の競輪場の近くのマンションです。京王多摩川駅から比較的近いところです。目の前が多摩川の河川敷で,昔子供の野球の練習でよく行った場所です。道生神社は,飛田給の駅から西調布に向かって旧品川道を歩いていくと,左手に鳥居が見えてきます。会社に勤めていた頃はよく通った道で,飛田給よりのところで独身の頃駐車場を借りていました。ここも懐かしい場所の一つです。調布パルコの5階にある本屋(パルコブックセンター)も映画の中に出てくるそうです。最近はあまり行かなくなりましたが,妻や子供たちと調布で待ち合わせる時は,よく利用していました。早く着いた時の時間つぶしにもなるので,大体この本屋を利用していました。パルコ前の今の調布駅前もロケされていて,何時撮ったんだろうと思いました。御塔坂橋交差点横断歩道は深大寺の少し手前のところにある交差点で,1週間ほど前に愛犬たちの三回忌と四十九日の供養で深大寺に行く時通りました。また,去年の年末にMARUTAというレストランにいった時も自宅から歩いて行ったので,ちょうどこの交差点のところを通っています(12月21日のブログ)。他にも多摩川沿いの道のロケ地は,京王相模原線多摩川を渡る橋の少し先で,調布の撮影所の比較的近い場所です。私の家からはちょっと離れていますが,先ほど書いた野球の練習で河川敷のグランドに行く時通った道です。甲州街道も映っていますが,あれは調布のスクランブル交差点のようです(旧甲州街道)。

 本編を観れば,もっと沢山調布やその界隈が写っていると思います。でも,私自身この映画は観に行かないと思うので,好きな人が観ていろいろSNSでアップしたのを見るくらいしかないかもしれません。調布は,大映や日活の撮影所があるので,結構ロケに使われたりしますし,昔ですが調布の駅で乗り換えの電車を待っている時に,何度か俳優さん(そんなに有名ではなかったと思います。時々テレビなんかに出ている人でした。電車乗り継ぐくらいですから,そんな有名俳優ではないのは当たり前かもしれません)を見かけたことがあります。先日も書きましたが,孤独のグルメの年末スペシャルで飛田給の品川街道沿いの定食屋(夜は居酒屋もやっていいます)のいっぷくが出てきたり,車返し団地の近くの花火工房の大筒屋が出てきたりしています。小芝風花さん主演の“妖怪シェアハウス”では,私の家から西調布の駅に向かう道の階段が出てきたりしました。自分の知っている場所が写ると何故かテンションが上がります。本当は,そういうロケの時に偶然出くわして,女優さんたちが見られたらと密かに思っていますが,なかなかそういう場面に出くわしたことはありません。

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花束みたいな恋をした

 

公聴会

 昨日は,論文博士のT社のM氏の公聴会でした。彼は,大学の研究室の後輩であり,委員会などでも一緒に参加していて,よく知っている人物です。現在は,T社のシンガポールにある関連会社に出向していて,シンガポール在住です。彼此4年経ちます。彼の上司であるT社のT氏から6~7年前になりますが,M氏の博士論文の指導をお願いしたいという依頼を受けました。彼の研究は,私の研究分野に近いこともあって快くお引き受けすることとしました。既に多くの研究成果を学会等にも発表していましたので,当初は課程博士で引き受けるつもりでしたが,その後シンガポールの会社への出向となり,2年ほどそのままとなっていました。一昨年にT氏にお会いして,あらためて論文博士としての指導をお願いできないかとの申し出がありましたので,一度本人が帰国した時に状況確認も含めて打合せしましょうということになりました。

 一昨年の12月にT氏とM氏が市ヶ谷の私の研究室に来られて,論文内容や研究業績などについての確認と今後の予定などについて打合せを行いました。まだ,新型コロナの影響もなく,年に何回か帰国した折に内容についてのディスカッションをしていきましょうということになりました。しかしながら,その後の新型コロナの急速な拡大を受けて,M氏自体もシンガポールで足止め状態となり,直接会って指導などができなくなりました。仕方なく,論文を少しずつ書き進めてもらって,その都度私の方に送ってもらい,内容についてのコメントや修正などをメールでやり取りすることにしました。それでもメールだけではこちらの意図が伝わらない場合には,オンラインでのビデオ打合せを何度か行いました。

 昨年の11月にようやくドラフトが完成し,論文博士の申請手続きを行い,12月の教授会での論文審査委員会において論文の申請が認められ,論文小委員会の設置が承認されました。小委員会では,主査の私の他三人の副査という構成で,外部からA大学のM教授にも副査として参加していただくことにしました。今年に入って数回小委員会を開催しましたが,非常事態宣言が発令されていた関係とM氏本人がシンガポールから帰国できないことから,全てオンラインでの開催となりました。少人数とはいえ,オンラインでの論文審査というのはどうもしっくりこないというか,なかなか議論がかみ合わないところも何度かありました。やはり,こういうものは対面で開催するのがよいとあらためて思いました。

 公聴会自体も当然オンラインとなり,審査対象のM氏も副査の三人の先生方,私も含めて皆自宅もしくは大学からの参加となりました。H大学のS名誉教授,N大学のN教授,M教授,I大学のH教授など産官学の各方面から42名参加いただけました。S名誉教授から厳しいご指摘もありましたが,概ね皆さんから高評価を受ける研究内容でした。当研究室からも社会人博士の方や大学院生,学部生も参加してくれました。相手の顔が見えない状況での質疑応答というのは,どうもやりにくいのですが,これからはこのようなオンラインによる審査が増えてくることになると思います。まだ,審査を受けていない私の研究室の他の博士課程の方々もこれを励みにして頑張ってもらいたいものです。

入試監督(その4)

 昨日で私が担当する入試監督も終了しました。合計で3日間も拘束されるので,結構他の仕事が溜まってしまって大変です。学生からは,卒論の最終確認どうなりましたかとSlackやメールがどんどんきますし,大学からは提出期限が今日ですが,資料できていますかと督促がきたり,成績もつけたりしないといけないですし,次年度のシラバスも入力しなければなりません。12月が師走といわれて,師も走るくらい忙しい時期と言われていますが,旧暦で考えればちょうどこの時期が大みそかから新年に代わるときなので,本当に全速力で走らなければならないほど忙しい時期と言えます。こんな時に,3日間も何もしないでじっとして監督していなさいと言われるのですからたまったものではありません。

 愚痴はこれくらいにして,昨日は前回と同じで文系の入試の監督でした。午前中が英語,午後は国語と選択科目(地理,数学,政治・経済,日本史,世界史の中から1科目選択)です。経済学部,社会学部,スポーツ健康学部の入試でしたので,女子の比率はそれほど高くありませんでした(大体2割程度)。担当した試験場は,60名の定員で欠席が5名だったと思います。元々割り当てられていた教室から移動になっていたので,受験予定数が減ったと思います。それであれば,免除してくれればよいのにと思いながら,東館地下一階の学生食堂に向かいました。

 チーフは,市ヶ谷の学部(またも名前を聞くのを忘れてしまいました)の女性の教員の方で,もう一人は多摩の事務の若い男性でした。当初は,チーフ監督に割り当てられていたのですが,教室変更でチーフを外されましたので,今回も気楽に監督することができました。60名の定員の半分を私が担当しましたが,今回もやはり変な受験生が一人いました。前回のようにいろいろ言う受験生ではなかったので良かったのですが,遅刻してくるところは同じでした。チーフ監督が試験上の注意事項の説明が終わり,問題冊子,解答用紙も配り終え,写真照合も済んで後は試験開始の合図を待つばかりという時に入ってきました。風貌で決めてはいけないですが,金髪で凄い厚手のダッフルコート着て,凄く大きな布袋を持っていました。袋からはゴミのようなものが飛び出していて,何となくですが浪人生のという風貌でした。

 試験開始3分前に着席し,筆記用具などの用意をした時には既に開始時間となっていました。とりあえず,問題冊子と解答用紙を渡して,写真照合をするためにマスクを下げるように言いました。マスク下げて本人確認したまでは良かったのですが,その後マスクを鼻出し状態で試験を受け始めました。最初鼻まで上げたと思ったのですが,マスクが緩いのかすぐに下がってきてしまうようで,それを上げようともしませんでした。仕方ないので,見回る度にマスクを上げなさいと注意して,素直にその時は上げるのですが,下がってくるとそのままで試験を受けていました。チーフ監督と話をしましたが,咳をしているわけではないので,気が付いた時点で何度も注意するしかないということになりました。

 もう一人鼻出しマスクの輩がいて,何故か金髪でヤンキーっぽい風体でした。この子は時々咳をするので,その都度注意しに行きました。言われると素直にマスクを上げるのですが,暫くするとまた下げて試験していました。昨日は,そんな繰返しで試験監督が終了しました。おかけで,眠くなることもなく監督をすることができたのですが,気分的には濃厚接触まで行かないものの,あまり気分がよくはありませんでした。試験終了後は,入念に手洗いをし,服に除菌スプレーをしっかり噴霧したのは言うまでもありません。

これからの土木

 今日は,ボツ原稿の中でこれからの土木が進むであろう方向性について,私なりの意見を書きたいと思います。

 戦後荒廃した国土を復興させるために,社会基盤の整備が行われ,1960年代から1970年代の高度経済成長期に大量のインフラが建設されていきました。この社会基盤整備の目的の一つとして,先のオリンピックに間に合わせる必要があったことが挙げられ,そのために急速大量施工が行われたのです。この時行われた社会基盤整備としては,都市の区画整理上下水道施設の整備,高速自動車道路の整備,高速鉄道(新幹線)の整備等があります。

 それから50年以上が経過し,多くのインフラは更新時期を迎えています。また,東日本大震災津波による福島第一原子力発電所の事故によって,他の原子力施設の多くが停止したままの状態となっている一方で,地球温暖化による二酸化炭素排出量の削減が求められていて,二酸化炭素排出の多い石炭火力発電所の更新などが進んでいない状況にあります。この老朽化が進む膨大なインフラストックを一度に更新することは現状では非常に難しく,それらの多くを長寿命化させていく必要があります。また,上述した原子力化石燃料に依存している現在のエネルギー産業から再生可能エネルギーへ転換していく必要があります。

 したがって,これからの土木の仕事はこれまでの新設工事一辺倒から維持管理やリニューアル工事へとその主力を移行していくことになると思います。また,再生可能エネルギーとして風力発電の建設や既存ダムの機能向上を目指したダムの再生(取水能力の向上や嵩上げなど)が中心になってくるものと思われます。

 一方,今後急速に進む少子高齢化に対して,土木従事者の減少や専門技術者の減少に対する対応も行っていく必要があります。そのためには,建設工事のよりいっそうの省力化,自動化を推進していくとともに,AIなどを活用した無人化施工などに積極的に取り組んでいく必要があります。そのためには,これまでの土木分野だけでなく,その他の工学分野や理学,情報科学の分野と融合した新しい形の土木を目指していく必要があるといえます。

 もう少し先の未来を考えると,例えば現在ガソリンなどで走る自動車が今後電気や水素で走るようになるだけでなく,自動車に替りドローンが人やものを運ぶ手段となれば,現在の道路ネットワークの多くが不要になっていく可能性があります。また,リニア新幹線の技術がもっと汎用的なものになつて短時間に大量の物資や人を移動できることになり,さらに現在研究が行われている真空チューブによる輸送技術が確立すれば,より高速となって二酸化炭素をばらまいている飛行機に代わって世界中の海底や地下に輸送ネットワークができ,空を飛ぶ飛行機自体の需要が大幅に減少していく可能性もありうるのです。

 エネルギーの分野では,核融合技術によってエネルギー事情も一変していくでしょうし,自立型AI技術の進歩によってこれまでの土木工事での重労働・単純作業はロボットが替わって行うことになり,土木工事の完全自動化によって,山の中にいつの間にかダムができているというのもあながち夢物語ではないかもしれないと思っています。