法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

宮大工の口伝

今日は,敬愛する故西岡常一氏の話の中から,法隆寺の宮大工の棟梁に伝わる口伝について少し書きたいと思います。実は,この口伝の中に土木・建築の技術者が学ぶべき内容やマネジメントの極意のようなことが述べられているので,紹介したいと思った次第です。

 

・神を崇めず,仏を拝せずして堂塔伽藍を口にすべからず

仏や神様を知らずに,ただ形式的に伽藍とか神社とかを口にするのはいかんというものです。土木技術者の場合インフラを整備する時の目的,要求品質,住民の要望などを理解しないで,造るものでないと考えるととても納得できることのように思えます。よく言われる箱もの行政などは,まさにこれに相当すると思います。住民の意向もわからず,ただインフラの整備に邁進するのは愚の骨頂といえる行為といえます。結構そんな市町村が国内にはあるのでないでしょうか。心のこもらないインフラであれば,誰にも利用されず放置されてしまい,いずれは朽ちてしまうのです。

 

・伽藍造営には四神相応の地を選べ

四神(菁龍,朱雀,白虎,玄武)に守られた場所に伽藍を建てなければならんというもので,インフラに欠かせない防災や建設による利用者の利便性などを考慮して造りなさいと読み替えれば,なるほどと思えます。

 

・住む人の心を離れ住居なし

人の心を離れて,建物を作ってはならんというもので,まさに我々がインフラを整備する際の根幹をなすものといえます。発注者が自分の想いだけで造るのではなく,利用する住民の方々の気持ちを組み入れたものでなければならないのです。一見,当たり前のように思えることなのですが,得てしてインフラの場合図書館,庁舎,多目的ホールと称する建物など役所の思いだけで造られているものがあるように思われます。

 

・堂塔造営用の用材は木を買わず山を買え

一つの山で生えた木をもって一つの塔をつくる,堂をつくるというもので,木は,土の違いで性質も違い,育った環境によっても癖が異なるので,木だけで,ましてや製材されたものではどんなところで育った木かわからなくなってしまうというものです。私は,この口伝をインフラに置き換えた場合,構造物の建設,維持管理において使用する材をよく吟味して,価格だけでなく,多少高くてもその性能がその構造物に適していると判断されれば用いていく必要があるのだと述べていると思っています。現在のインフラの場合,価格優先で,性能の向上,品質向上に対する価格高騰に対して極力抑える方向にあるように思えます。施工者側も低価格での入札を行い,安全,品質を十分満足していないように思えます。これでは,長く使えるインフラを造ることは叶わなくなってしまいます。

 

・堂塔の木組は木の癖組

育った環境で木の癖が違うので,その癖を上手に組めということであり,例えば右にねじれた木と左にねじれた木を組み合わせれば,ひずみが少なくなり,建物の狂いも少なくなることを説いたものです。これは,前の口伝にも関連するもので,インフラの場合にも,その部材に適した材料,施工法を用いれば長く使用できることとなることを示していると思います。

 

・木の癖組は人の心組み

棟梁は,木の癖を見抜いて,それを適材適所に使うというもので,お堂を建てるのには大勢の人間が関わるので,「木を組むには人の心を組め」というのが棟梁の役割であることを述べたものです。いわば,現場所長の心意気というか職務を解いたものと同じだと思っています。例えば,職人が100人いたら,100人が自分と同じ気持ちになってもらわないと建物はできないということであり,施工する側の一人一人がよい構造物を構築するための自分の役割をしっかり理解し,所長の意向を十分に汲み取って従事しなければならないのです。そのためには,所長が作業員一人一人に自分の考え,やり方を徹底させることであると思っています。抑え付けるのでなく,各自が納得して仕事に取り掛からなければよいものはできないことを述べていると思っています。

 

・工人の心組みは工人への思いやり

棟梁が工人への思いやりがなくてはいかんというもので,前の口伝をより明確に示したものといえます。私がダム現場に赴任した時に,最初に上司である工事課長に“作業員に声を掛ける時は必ず名前を呼ぶようにしろ。決して,”おい“とか”そこのお前“などと言うな。相手も一人の人間なのだから,何かものを扱うような態度で臨むな。相手だって,自分の名前を呼ばれたら,この人は自分のことをちゃんと気にかけていると思うではないか。現場で一番大切なのは,お互いの信頼関係を築くことなのだ”と言われました。何百人もいる作業員の一人ひとりの名前を覚えるのかと思うとどうしたらよいか最初は戸惑いました。顔と名前が一致しない時もたびたびであったのですが,気をつけて名前で呼ぶようにしていました(間違えて人の名前で呼んで,すぐに謝ったことがよくありました)。所長は,作業員一人ひとりの名前だけでなく,どこの出身だとか,家族構成まで把握していて,話をしていました。さすが上に立つ人は違うのだと感心したものでした。また,所長は時間があると常に現場に出て,作業員の人たちに声を掛けていました。ちょっと失礼かもしれませんが,お殿様が農民たちに声を掛けている時代劇のワンシーンを思い浮かべていました。

 

・百工あれば百念あり。一つにする器量のない者は,自分の不徳を知って,棟梁の座をされ

上に立つものの心得であると思っています。よく偉くなるほど頭を垂れるといわれますが,どうしても上に立って,いろいろ権力を持つようになると,驕り高ぶる人が多いのも事実です。発注する側の人間が施工する側の人間を見下すような態度を以前はよく目にしていました。私のいた現場でも,よく聞いたのは,”甲乙同等と契約書にはあるが,実際は甲と乙の関係(甲が上位)なのだから,施工者はどの道従うしかない。請負と書いて請け負けと読むんだよ”というものでした。技術研究所に長くいて,発注者とも互角に渡り合ってきたつもりでいました。技術の優劣は発注者・施工者には関係ないと思っていましたが,現場ではそうではなかったのです。自分は決して見下すような人間にはならないとその時思いました。今,大学で教鞭をとる身となって,それができているかといわれると,胸を張って頷けるところまでいっていないと感じています。この口伝は,なかなか難しくもあり,いつも自問自答していかねばならない口伝と思っています。

 

・諸々の技法は一日にして成らず,祖神達の徳恵なり

技術は,自然の法則を人間の力で征服しようとするもの,技法は自然の法則のまま生かして使うことであり,一長一短でできるものでもなく,先達たちの英知を受け止め,決して自然に抗うことなく共生していくことを考えていく必要があると説いています。インフラにとってこの口伝も非常に重要な意味を持っていると思っています。