法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

私が大学の教員になった経緯

 昨日は,私のライフワークについて少し書きました。そういえば,色々な人に“どうして大学の先生になったのですか”とよく聞かれるので,今日はその話を書きたいと思います。

 1996年に2年ほど勤務した広島のダム現場から技術研究所に戻って,その後LCE(Life Cycle Engineering)プロジェクトチームに移動してからのことです。1999年だったと思いますが,たまたま研究所で仕事(プロジェクトチームに移ってからも,現場の対応(主に温度ひび割れ絡み)で月の半分以上出張に出ていました)をしていた時,私の大学の恩師の先生から突然電話がかかってきたのです。ちょうど博士論文の作成を行っていた時でしたので,何時になったら完成するのかという督促の電話だと勝手に思って受話器をとりました(最初に電話に出たのは,プロジェクトチームの他のメンバーでした)。電話に出るなり,唐突に“君,大学の先生にならないか”といわれました。一瞬何のことか理解できず“どこかの非常勤の先生になるということですか?”というような返答をしたように記憶しています。それに対して“そうではなく,会社を辞めて大学に行く気はないかということだよ”といわれました。こういうのを青天の霹靂というのでしょう。“私一存では決められないので,妻と相談してみます”と返答したところ,“できるだけ早く返事が欲しい”といわれ,電話が切れました。しばらく茫然としていたと思います。自分自身,定年まで会社務めして,その後は好きなプラモデルでも作りながら余生を送るようなことを思っていました。

 現場から戻ってきて数年でしたし(単身赴任),ちょうど研究所に戻る少し前に家も購入して,ローンを組んだばかりでした。子供もようやく小学校に上がったばかりで,これからお金のかかる時期だし,大学の先生というのは民間の建設会社に比べて給料は安いとも聞いていました。案の定,家に帰って妻にその話をしたところ,“会社辞めて大学に移って,給料下がるんじゃないの。ちゃんとやっていけるの?”という想定した返答が返ってきました。まあ,その時の状況考えたらそう思うのは仕方ないかなと思いました。

 そもそも,まだ博士論文を書いているところですから,当然採用の条件として博士号が必要でしょうから,難しいかなと自分自身も思い,数日後恩師の先生に“博士論文も仕上げていませんし,給与がどうなるのかも不安です”と正直に話をしました。恩師の先生からは“君は博士を取るつもりで書いているだろう。急いでまとめれば大丈夫である。給与のことは,一度法政大学の満木先生に会って聞いてみたらよい”といわれました。

 そういえば,最初の電話の時にどこの大学かしっかり聞いていませんでした。気が動転していて,それどころではなかったと思います。二度目の電話で,法政大学と聞いて,恥ずかしながらそれまで法政大学というのは文系の大学で土木があることを知りませんでした(実は,単に忘れていただけで,自分の卒論を書くときに先生から一つのパイプクーリングの論文(法政大学の卒業生の尾藤さん)を手渡されて,“尾藤君に数値解析をいろいろしてもらったが(電中研時代に小林先生に頼まれて卒論の指導をされたと聞いています),やはり3次元でのFEM(Finite Element Method;有限要素法)を使ってパイプを自由に配置できる解析を行う必要があるので,君がそれをプログラミングしなさい”といわれたのを後になって思い出しました。

 気持ちの整理も十分できないままに,東小金井に向かいました。当然大学内で会うことは憚られたので,東小金井の改札で満木先生と待ち合わせし,南口の喫茶店(今はフレンチかイタリア料理の店になっています)で,話を聞きました。小林正几先生が2000年に退職されるので,その後任を探しているとのことでした。私の恩師の先生である田邊忠顕先生は,小林先生と昔からの知り合いで,その縁もあって電力中央研究所に勤めていらしたときに法政大学の兼任講師を長くされ,満木先生が兼任講師を引き継がれ,その後法政大学に移られたことを聞きました。給与は最初少し下がるかもしれないけれど,国立の先生に比べたら給与はよいよといわれました。具体的に私の年齢の給与も教えていただき(ちゃんと計算式があって簡単に計算できる),そんなに下がるわけではないことは分かりました。満木先生からは,何時博士を取得できるのか聞かれ,まだ分かりませんと答えると,それが決まらないと学科に推薦できないので,決まるまでは話を進められないと言われました。

 確かに条件が整わないと話にならないのは当然だと思い,その時はこんな話もあった程度で,自分の中ではこの話はこれで終わりだと思いました。ここまですと,私が今この大学にいないのですが,話が長くなるので,この続きはまた明日書きたいと思います。