法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

ハイドロクリート

 昨日,明石海峡大橋のことを書きながら,その当時のことを思い出しましたので,今日はそのいくつかのエピソードを書こうと思います。私が某建設会社の技術研究所に配属された年(1984年)は,ハイドロクリートの20年間の長期海中暴露試験体の作製の年でもありました。ハイドロクリートというのは,現在の水中不分離性コンクリートのK社での呼び名(各建設会社でそれぞれ呼び名がありました)で,1980年代初頭に西ドイツから技術導入されたものです。水中不分離性混和剤(UWB:Unter Wasser Beton)を混和することで,水中でも濁ることなく気中と同様の施工ができ,品質も気中コンクリートとほぼ同様という二十世紀に開発された画期的なコンクリートです。西ドイツからのUWBの国内での輸入,販売元であるM化学と,開発担当のK社,実際の材料の販売,施工を行うKK社でハイドロクリートの施工を行うことになり,その品質評価や設計・施工マニュアル等を私が入社する前に技術研究所と本社で検討が行われました。私が入社した時に,その品質評価の集大成として大型のRC梁等を作製し,20年間千葉県の五井の海中に暴露することになったのです。入社間もない私がこの海中暴露試験体の作製に加えられたのは,新入社員で作製グループの中で一番長く会社にいるからという理由(実際は,そのメンバーなかで一番早く会社を辞めてしまいました)だけだったようです(私は,それまでハイドロクリートというか水中にコンクリートを打ち込むことすら知りませんでした)。供試体作製のために研究所内に大型の水槽が設置されました。当然,海水中での供試体作製となるのですが,それだけ大量の海水を海から運んでくるのは無理なので,確か模擬海水(海水の成分を粉体状にしたもので,それを海水と同じ濃度で水に溶解したもの)を使って行ったように記憶しています。私は,何も知らない状態でメンバーに入れられたので,当然手伝いも何もできませんでした。上司から,とりあえず何でもよいから写真を撮りまくれとカメラを渡されました。何を撮ったらよいかもよくわからず,コンクリートが打ち込まれている様子を撮ったと思います。

 この長期海中暴露供試体作製メンバーに加えられたことがきっかけで,以後私がハイドロクリートの担当の一人となったのです。チームのリーダーは,コンクリートの開発から当時まだほとんど研究されていなかったコンクリートの劣化(塩害やアル骨など)についての研究や現場対応をされていました。スゴイお酒飲みで,かつヘビースモーカーの方で,一緒に出張に行くと帰りの新幹線や夜行列車で酒に付き合わされて大変だった記憶があります。何せ,研究所の前の酒屋で1合のカップ酒を買って,その場で水を飲むように飲み干してから電車に乗るような方でした。机の脇の引き出しには,いつもウイスキーが入っていて,夕方からそれを取り出して飲みながら仕事されていました。お酒に関しては豪快でしたが,研究は緻密でいろいろ教えていただきました。コンクリートの耐久性関連に興味を持ったというか持たされたのはこの方のお陰だと思っています。

 ハイドロクリート明石海峡大橋との関連については,次回以降書きます。書き始めると次から次へと昔のことを思い出して,本題に辿り着くのにまだ何回か書かないと収まらないかもしれません。