法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

コンペ

 ハイドロクリートの海中暴露試験の後,本四架橋の明石海峡大橋の受注を巡っていろいろ動き出して,ハイドロクリートメンバーとなった私は上司から言われて,水中コンクリートに関する文献の収集などを行いました。ハイドロクリートに関する文献調査結果をまとめた資料を黒表紙(ハードガバーで金文字のタイトルなど入れて提出する報告書で,事業者などに正式な報告書として提出する場合に用いていました)の報告書にして,当時の土木部長(後に副社長までなられたのですが,副社長就任後間もなく病気で亡くなられました。65歳になられてなかったと思います)がその分厚い報告書を抱えて神戸(本四公団の本社があったところ)まで営業に行かれました。本四公団としては,これまでと全く異なる水中コンクリート(瀬戸大橋は,プレパックドコンクリートで施工されており,明石海峡大橋の海中基礎も当初はプレパックドコンクリートで計画されていました)で,公共工事でそれほど実績がないため,二の足を踏んでいたようですが,N土木部長が資料を持って説明されて,検討対象のひとつとなりました。実は,その頃関西国際空港の連絡橋の海中基礎にH組の特殊水中コンクリートが採用され,その実証実験のための実規模での施工実験が行われており,その公開実験を見られた本四公団の関係者の方たちも明石海峡大橋への特殊水中コンクリートの適用に傾き始めた時期でもありました。国内ではいち早く技術導入したK社のハイドロクリートですが,その後大手ゼネコンも開発を行っており,T社,S社,O社,Ku社,G社などが独自の配合体系(特殊水中コンクリートに添加する増粘剤も西ドイツのものでなく,国内で開発されたS社のものやアクリル系の増粘剤を用いたりしていました),施工方法を持っていました。本四公団としては,どの製品に絞り込むか決め兼ねたのか,K社,T社,O社,でコンペを行うことになりました。各社推奨の材料,配合を提示してもらい,富士の建設機械化研究所(現在の施工技術総合研究所)で実際に練混ぜを行うことになったのですが,骨材及びセメントは共通なので,事前にある程度配合選定する必要がありました。そこで,骨材の受け取りにトラックをチャーターして,私がトラックに同乗して富士まで取りに行きました。ダンプ一杯の骨材を受け取り(細骨材は海砂でした),研究所に持ち帰って,それからは試験練りを毎日のように行いました。

 コンペは,各社3日間(1週間だったかもしれません)で,フレッシュコンクリートの試験(スランプフロー試験,空気量試験,それらの経時変化,ブリーディング試験,凝結試験)と強度試験用の供試体の作製を行ったと思います(強度試験自体は,建設機械化研究所の方が行ったと思います)。技術研究所ではパン型の強制練りミキサーを当時使っていたのですが,建設機械化研究所では二軸の強制練りミキサーを用いて行うことから,急遽購入したように思います。結果は,性能的に有意な差が認められないとのことでしたが,配合設計方法はO社のものが採用され,当社のもの(一番の違いは,O社が増粘剤の使用量を単位セメント量で決めていたのに対して,当社は単位水量から決めていた点です。増粘剤の保水能力を理論的に考えたら単位水量にすることが正しいのですが,公団としては従来の配合体系に近いものがなじみやすかったのかもしれません)は選ばれませんでした。ただし,この特赦水中コンクリートの性能評価を行うために,建設機械化研究所で室内試験や大規模実験を実施することとなり,コンペに参加した3社に加えてH組,K組,M建設工業から若手の社員を1名ずつ拠出し,混和剤メーカも加わって検討チームが結成されることとなりました。私もその一人として参加することとなり,それからの2年間,月の半分以上を富士の建設機械化研究所で過ごすことになりました。その時のことは,次回書きたいと思います。

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富士の建設機械化研究所での大規模実験の場所での1コマ(当時27歳)