法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

この橋の向こう(新入社員編)

 暫く間が空いてしまいましたが,2021年の新年を迎えてまた再開したいと思います。前回の話で,真理子は新入社員研修の一環として,最初に設計部のトンネルチームに配属されたところまで書いたと思います。今日は,その続きを書いていきます。

 同期入社の女子で,設計部に配属された友里恵と優子は,真理子と同様に新入社員研修の一環として,橋梁チームと原子力チームにそれぞれ配属されました。2ヶ月間の短い研修とはいえ,いよいよ社会人としての一歩を踏み出すことになりました(このあたりの姿を抜いた形で画面に出せたらと思います)。トンネルチームは課長の杉田さん他4人の5人体制で,女子は誰もいないという設定にしたいと思います。一番年齢の近いのが,入社5年目の新巻さんで,真理子の指導役でもあります。新巻さんから,トンネルチームで現在抱えている案件と,設計部でどんな仕事をしているのかの説明を2時間ほどしてもらいました。真理子は,聞いている内容の半分以上理解できませんでした。新巻さんに,説明を受けた後わからない内容について質問したところ“今すぐ全部理解するのは無理だよ。俺だって最初配属された時,上司や課長の言っていることがほとんど理解できなかったよ。少しずつ分かっていけばよいよ。研修自体は短いけれどここに配属されたら,嫌が上でも覚えるようになるから。大学と違って,先が長いんだから,そんなに一度に詰め込まなくてもいいよ。”といわれました。それでも真理子は,わからないままにしておくのが嫌だったので,“何か参考になる本などはありますか?”と新巻さんに訊ねます。“そこの本棚にトンネルの設計に関する本があるから,適当に探して読んだらいいよ。ただし,今説明に使った資料は外部には持ち出さないように。案件のほとんどはまだ社外秘だからね。特に,書類の取り扱いは気を付けて”といわれました。新巻さんから具体的な仕事を言われなかったので, “今日私は何をすればよいですか?”と聞いたところ,“今,皆急ぎの案件でバタバタしているから,説明資料読んでいてくれる。さっき言った関係資料は本棚に置いてあるから。”といわれて,自分の仕事に戻っていきました。真理子は,与えられた机に座って,先ほど新巻さんから渡された資料を読み返しながら,わからないところに付箋とマークを付けて,とりあえずトンネルの設計要領や設計指針,設計便覧を引っ張り出して,わからないところと関係ありそうなところを探し出して調べ始めました。そうこうするうちに,お昼となり,友里恵と優子が真理子のところに来て“お昼食べに行こうよ。まずは食堂に行ってみない?”といわれ,三人で食堂に向かいました。このあたり,よくドラマに出てくるような感じでのアングル(真理子が資料を読んでいると,友里恵が真理子を覗き込むようにして,科白をいうというのが良いかなと思ったりしています)での撮影にしたいと思います。食堂は,ブュッフェ形式となっていて,定額で取り放題とします(男子社員がお皿に山盛りにしていく姿などがあれば面白いかなと思います)。友里恵は,結構ガッツリ取って,優子は野菜中心であまり取らない(寮と自宅の差が出ているようにしたいと思います。友里恵は遅刻ギリギリで朝ご飯を食べ損なっている)という設定で,真理子は普通(男子社員みたいに山盛りというのも面白いかと思います)で,空いている席に3人で座り食事を始めると,男子の新入社員も同じテーブルにきて,3人にいろいろ話しかけてきました。この続きは,次回に。

パリでの生活(その26)

 2018年7月1日(日)は,いつもより遅く起きて(6時30分),朝食の準備をして,7時過ぎに朝食を取りました。その後,日曜日の恒例となっているシーツや枕カバーの洗濯をしました。8時30分過ぎ(日本時間の午後4時30分過ぎ)に,妻の実家からビデオ電話(LINE電話)がかかってきました。ちょうど妻の兄弟一家が集まっていて,私のアパルトメントの様子が見たかったようです。電話の後,メールを確認したところ,日本から過去の期末試験に関する問い合わせが来ていて,その対応を午前中していました。お昼は,料理するのが面倒くさかったので,日本から持ってきたカップ麺を食べました。午後からは,これも何となくルーティンになってきた模型製作を夕方までして,18時前から夕食の準備を始めました。週末は肉を食べると決めているので,スーパーで買っておいた赤身の牛肉をステーキにして,カット野菜とスープ,バゲットを添えて夕食としました。夕食後も少し模型製作をしてから,AMAZON PRIMEビデオを観て,21時30分前に就寝しました。

 翌日は,いつも通り5時30分過ぎに起きて,朝食の準備,朝食,日記を書いて7時過ぎにアパルトメントを出ました。8時過ぎにIFSTTARに着いてパソコンを起動したところ,ID,パスワードが認識されませんでした。一瞬焦ったのですが,同室のハマッドが“IDとパスワードは毎月変更になるので,新しいIDとパスワードを調べて渡してあげる”といってくれました。その後,ハマッドから新しいIDとパスワードをもらってようやくネットに入ることができました。そういえば,ハマッドは6月中旬から3週間ほど休暇をとっていて(何の休暇かは分かりませんが,レバノンに戻って家族に会ってきたと言っていました),7月から復帰となりました。これでまたお昼寝の時間をハマッドの食事の時間に合わせるようにしないといけなくなりました。ハマッドから,お土産を買ってきたので地下のミーティング室に一緒に来て欲しいと言われ,一緒にミーティング室に行きました。すでに他の研究員たちも集まっていて(彼らはしょっちゅうメールかLINEで連絡とり合っているようです),ハマッドが持ってきたレバノンのお菓子(ほとんど砂糖菓子のようで,甘すぎて私は一口食べただけでした)をいただきました。私は早々にミーティング室を後にして研究室に戻り,日本からのメールのチェックや論文作成のためのデータ整理をしました。結局,ハマッドが戻ってきたのは11時前で,すぐに昼食に出かけていきました。私は,12時少し前に食堂に行って,一人でゆっくりと昼食をとってから,部屋に戻りお昼寝しました(その間ハマッドは戻ってきませんでした)。午後も論文作成のためのデータ整理を行い,17時前にIFSTTARを出ました。18時にはアパルトメントに戻り,シャワーを浴びて(6月末から急に暑くなって,リヨン駅からアパルトメントまでの間に汗びっしょりとなります),洗濯をしながら夕食の準備をしました。月曜日は,何となくパスタを食べる日にしていて,ニンニクと唐辛子を効かせたペペロンチーノ風パスタを作りました。後はスープとバゲットで夕食としました。食後は,いつものようにビデオを観て21時には就寝しました。ただし,夜も結構暑くなってきたので,扇風機を引っ張り出して(これがまたすごく古いタイプの扇風機で,日本にはもう売っていないようなレトロな扇風機です),それを回しながら寝ました。

2021年始動

 今日から大学に入構できるようになり,授業は8日からですが,今日が私の仕事始めとなります。今年は,実家への帰省をしなかったので,昨日も家で調べものをしたり,卒論チェックしたりしていたので,昨日から仕事始めなのかもしれませんが,気持ち的には今日から2021年が始まった感じです。昨年はいろいろなことがありすぎて,あっという間だったのか,凄く長かったのか正直なところ良くわかりません。去年の今頃は,中国で謎のウィルス蔓延というくらいで,新型コロナウィルスで日常生活が大激変するとは夢にも思わず,日本コンクリート工学会の年次論文集の執筆をしたり,卒論のチェックをしたりしていました。今週には1都3県に非常事態宣言が出される可能性が高くなってきました。大学にとって,1月,2月は卒論,修論審査時期であるとともに,共通試験や一般入試があります。当初,卒論審査及び修論審査は対面で実施する予定にしていましたが,非常事態宣言が出されると,校内への入構禁止措置が取られる可能性が高くなるので,オンラインでの実施になると思われます。卒論審査は,自分の1年間の研究成果を皆の前で発表し,審議を受ける場ですので,オンラインのように聴衆の顔も見えずただ画面に受かって発表してもあの緊張感や臨場感は味わえないと思います。教員からの厳しい質問に対して,その場に立って応えるところに意義があって,画面に向かってそこまでの感覚は得られないと思います。まだ,どのような形で行われるのか非常事態宣言が出てみないと分かりませんが,これまでと全く異なった形での審査になることは間違いないと思います。審査までの発表練習もオンラインで行うとなると何となく緊張感に欠けたものになってしまいそうです。前回のように何もわからない状態での非常事態宣言と今回の非常事態宣言は異なると思いますので,そこまで深刻に考えることはないのかもしれません。しかしながら,多くの人が集まる卒業式などは去年と同様に中止になる可能性があります。

 いろいろ考えても仕方ないことなので,今は自分自身ができることを淡々と進めていくしかないと思っています。まずは学部4年生と大学院2年生を3月に無事見送れるようにしてあげるのが今の私の最優先事項だと思っています。例年であれば,彼らが研究室に詰めて,必死に論文作成を行う時期であり,長年見ていて思うのは,一人で論文を書いているよりも研究室にいて皆でワイワイやりながら書いたほうができのよい論文になっているように思います。大体,一人で悶々として書いている人は先輩や教員,ましてや同級生にいろいろ聞くことができず,結論までたどり着けなかったり,凄くいい加減な論文を出してきたりする場合が多いです。それを指摘してもほとんどの場合直してきません。昨年も一人そういう学生がいました。途中までは結構質問したりしていたのですが,結局一人で論文まとめる段になって,まとめきれずに私に提出してきました。こんないい加減な論文では審査通らないぞと言っても,結局直さないまま提出しました。審査の発表もひどいものでしたが,そのまま研究室に残しても同じ繰返しになると思い,最低評価での合格としました。今年は,そんな学生がいないことを期待しながら,卒論の内容をみています。今年が去年よりも明るい年になってくれればと思いながらの仕事始めです。

孤独のグルメ2020スペシャル

 年末は,テレビ東京でグルメドラマのスペシャルの放送が恒例になっています。“孤独のグルメ”は大晦日に生放送を入れたスペシャル番組をここ数年続けています。今回は,紅白歌合戦の終盤に生放送が入って,神奈川県横須賀市で花火を打ち上げるシーンとなりました。北海道だったり(これは新年の方です。3年か4年前から年末スペシャルになっています),成田山であったり,福岡だったり,名古屋だったりと毎年スペシャルならではの志向が凝らしてあって,楽しく観ています。年末スペシャルになってからは,紅白歌合戦を観ている関係で,大体年明けに観ています。今回のドラマで面白かったというか,地元の人しかわからない場面が2つほどありました。ひとつは,花火の打ち上げを依頼した居酒屋の店主(大倉孝二)と井之頭五郎松重豊)が依頼主の店で打合せする場所が,飛田給にある“いっぷく”という定食屋(もちろんお酒も出すので,夜は定食屋兼居酒屋となります)でした。入口のところが画面に映ったときに“?どこかで見たことがあるぞ”と思い,よく見ると左端に“いっぷく”の看板があるではないですか。お店の中も昔のままの雰囲気(壁一面にメニューが貼ってあって,こんなにメニューがあるんだといつも思っていました)でした。K建設の技術研究所に勤めていた時,よく残業で通った店です。何せ研究所のすぐ横にあるので,しょっちゅう行っていました。もうひとつは,花火会社に五郎が打合せにいったところが,武蔵野台の車返し団地の近くの丸玉屋でした。入口に大きな花火を打ち上げる際の筒が目印です。打合せを終わって井之頭五郎が出てきたところの背景に直ぐ近くのファミリーマートと向かいの建物が映っていて確信しました。打合せ場所は神奈川県の北山田というところ(五郎が焼肉を食べるお店がそこにあります)なのですが,そこに花火会社がなかったからだと思います。あくまでも飲食店がメインのドラマなので,繋ぎの部分はどこでもよいわけで,花火会社を撮影して,近くの居酒屋をそのまま使った(松重さんのスケジュールもあるでしょうから)のではないかと思います。

 もうひとつは,“ワカコ酒スペシャル飛騨酒蔵めぐり”です。2020年のスペシャルは“忘却のサチコ”でしたので,2021年はワカコ酒となったのかもしれません。高山市内や古川,白川郷下呂と飛騨地方の名所にある酒蔵12軒を回るというものです。主演のワカコ(武田梨奈)のお酒の飲みっぷりもさることながら,飛騨地方の美味しいものをいろいろ紹介しています。前半と後半に分かれていて,前半を見逃してしまいましたが,後半はしっかり観ることができました。武田さんといえば,空手家で女優という異色の方で,“ハイキックガール(2008年公開,監督:西冬彦,出演:武田梨奈他)”で,吹き替えなしでガチの空手アクションが話題になった映画です。劇場で観ましたが,すごい迫力に圧倒されたのを覚えています。当然アクションスターになるのかなと思っていたら,その後はアクション映画だけでなく,普通の映画にも数多く出演しています(とはいっても“進撃の巨人”などのアクション映画にもちゃんと出演しています)。“孤独のグルメ”は,だんだん年末番組の定番になっているような気がします。

新年会

 元旦は,例年妻の実家に集まって新年会をします。いつもですと,2日に岐阜の実家に皆で行ってお祝いするのですが,このコロナ禍で帰省するのは憚られたのと,母の体調が悪く,現在入院しており,この状況で面会もさせてもらえないので,今年は帰省しませんでした。妻の実家の新年会は,ここ数年鉄板焼きをするのが恒例となっています。サシの入った高級な松坂牛をいつも準備してくれるのですが,年々そういう脂の強い肉が食べられなくなってきました。赤身の美味しい部位(モモやヒレ)をじっくり焼いて食べたいのですが,こちらからそういう肉が食べたいですともいえず,用意してくれたものを焼いて,子供たちに食べてもらい,私は焼係に徹するようにしています。妻もサシの入った肉が好きではないので,今年は赤身の肉を少し用意してくれていました。10年前ならガッツリそういう肉を食べていたのに,還暦を過ぎると食べても脂当り(脂で気持ち悪くなること)してしまい,最後は匂いを嗅いだだけでも気持ちが悪くなってしまいます。美味しいワインも用意してもらっているのですが,脂当りすると,ワインも美味しく飲めなくなってしまいます。今年は,肉と一緒に焼く野菜やソーセージをひたすら食べていました。最後に焼きそばを作るのですが,市販の焼きそばながら,上等な肉を炒めた後で作るので,とても美味しいものができます。皆お腹いっぱいといいながら,結構な量の焼きそばを作っても大体なくなってしまいます。義父も九十歳を超えてもサシの入った焼肉を結構食べられるので,それはそれですごいと思います。一時体調を崩していたのですが,いまは元気で皆が集まるような時にはしっかり食べられています(普段,義母と一緒のときはすごく食が細いと妻は嘆いていました)。私の母も今年九十二歳になりますが,やはり皆が集まるような場では,そんなに食べて大丈夫というくらい食べます(やはり普段は決まったものを少ししか食べません)。歳をとってくるとにぎやかな場で会話をしながら食事をする大切さというのを感じます。昨日の新年会には,孫もきましたが,以前書いたように今はすごく人見知りをして,お母さん以外抱くとすごい声で泣きます(息子が抱いても駄目みたいです)。しばらくして慣れてくると少しは大丈夫ですが,やはり私が抱くとすごい声で泣きます。いつになったら慣れてくれるのかと思ってしまいます。

 今日は,妻の友達夫妻とその娘さんと子供が午後から遊びに来てくれます(例年ですと帰省しているので,大体1月半ばになってしまうのですが,今年は帰省しないので,2日に集まることにしました)。ご夫妻とは,私がパリに在外研究で行っていたときに,ちょうど妻がパリに来るのと合わせて一緒に来られて,ドゥ・マゴで食事したりしています。相手の御宅にも何度かお邪魔したことがあります。うちの孫とも初対面になります。いつもは,帰省したりして慌ただしい三が日なのですが,今年はのんびりというかゆったりした感じでお正月を過ごしています。昨日はさすがに卒論のチェックをしていませんが,今日からまた再開しようと思っています。他にもいくつか仕事の依頼もきています。三が日過ぎたらいきなり忙しくなりそうです。今のうちにゆっくり休養しておくことにします。

新しい年を迎えて

 昨日の夜は,久々に家族全員集まって(息子が午後来てくれました。息子の嫁と孫には今日会います),4人で食卓を囲みました。昨日書いたように,大晦日はすき焼きを食べることにしていますが,その他にも妻が作ったローストビーフや紀ノ国屋で購入したフグ刺し,蟹などを前菜として食しました。折角なので,フランスで購入したシャンパンを開けて,この1年いろいろあったけれど,シャンパンの泡のように消し飛ばしてしまおうと皆で乾杯しました。普段,ワイン類を飲まない娘も美味しいシャンパンは飲むようです。その後は,すき焼きをするのですが,まずは肉だけを炒めて,醤油と砂糖で軽く味付けしたものを食べます。関西風なのか関東風なのか知りませんが,我が家ではこのやり方をしています。一通りお肉を食したら,そこに豆腐やネギ,糸こんにゃく,麩を入れて割下を足して煮立ったところで食べます。肉のうまみを十分に吸った野菜や豆腐は美味といえます。それらを食べながらおいしい日本酒を飲みます。こういう食事を皆でできる喜びは何事にも代えがたいものといえます。いい加減酔っぱらってしまい,そのまま紅白を観ながらうたた寝をしてしまいます。そのため,大体紅白歌合戦の前半を観たことがありません。21時過ぎに起こされて,年越しそばを食べます。今回は,息子が新潟から生のへぎそばを買ってきてくれたので,それを茹でて皆で食しました。後は,紅白歌合戦の後半戦を観て,ゆく年くる年を観ながら,0時に皆で“あけましておめでとう”を言ってから寝ます。そういえば,今回の紅白歌合戦は10年ぶりに紅組が勝利しました。今回はこのコロナ禍で無観客での紅白となり,紅白関係なく歌の祭典のような様相になっていました。これも新しいスタイルなのかもしれません。

 2020年は,コロナ禍で今までの生活様式が一変した1年でした。その中でも研究室のメンバーは黙々と実験や解析を行い,多少スタートが遅くなりましたが,皆結果を出してくれました。内容的にはいろいろありますが,それでも1年間の成果が詰まったものになったと思っています。今,彼らのドラフトを読んでいるところですが,頑張った跡が随所に見られます。これからの1ヶ月,彼らは最後の力を振り絞って(ちゃんと振り絞ってもらわないと困りますが),まとめていくことになります。どこまで完成度を上げていくのか今から楽しみでもあり,不安でもあります。去年は,卒論を仕上げてギリギリ卒業旅行(すでに多くの学生は自粛していっていなかったですが)したものもいましたが,今の状況をみるととても卒業旅行どころではないように思います。卒業式も去年と同様なくなってしまう可能性もあります。このような状況で彼らが社会に出ていかねばならないと思うと不憫でなりませんが,反対にこのような状況だからこそ,逆境に立ち向かう強い心を持ってもらいたいと思っています。1年間研究室で歯を食いしばって仲間とともに実験や解析を行ったことがきっと社会に出てもくじけない強いバネになっていると思います。しっかり前を向いて卒業までの3か月間を有意義に過ごしてもらいたいと思っています。こんな状況だからこそ明るい1年間にしてもらいたいと願っています。

買い物

 年末は,お正月の食材の買い出しに出ます。今度のお正月は,このコロナ禍で帰省するのを止めにしたので,いつもよりも購入する食材の量が増えました。昨日,その恒例の買い物に出かけました。ここ数年は吉祥寺の紀ノ国屋に朝一(年末は9時から営業しているので)に行って,おせちに入れる食材を個別で購入していきます。御重に入ったおせち料理は購入しないで,おせちの中の食べたいものだけを購入します。大体,黒豆,栗きんとん,数の子,かまぼこ,伊達巻,田作りくらいです。それと年末年始の夕食用にチーズなどを購入します。今年は,毎年頼んでいるふぐを止めて,紀ノ国屋のものを試しで購入してみました。以前デパートから取り寄せたものがいまいちで,それからは年末ふぐを食べさせてくれる寿司屋に行くことにしていたのですが,今年は出かけるのを極力少なくしようと思い,紀ノ国屋での購入となりました。他に,年末年始で使う野菜類や一日に妻の実家に皆が集まるときに使う食材(ここ数年はなぜか鉄板焼きを行うようになって,肉以外の食材を用意しています)として,魚介類なども購入しました。正月に帰省しない分の食材購入で,いつもの倍以上となりましたが,帰省のための電車代に比べたらかなり安く済みました。紀ノ国屋での食材購入後,肉屋のさとうに行きました。ここで,正月用のローストビーフのお肉を購入しました。これもここ数年妻がローストビーフを作るようになって,そのための肉の塊をさとうで購入しています。値段は高いですが,とても美味しい松坂牛を購入することができるで,これも毎年の恒例行事になっています。また,大晦日はすき焼きをするので,そのお肉も購入しました。私の実家では,大晦日はすき焼きをするのが恒例となっていました。母が年末おせち料理を作るのと(全て食材から作ります。昔はどの家庭でも当たり前だったのですが,最近は家でおせち料理を作らなくなってしまっています),家の大掃除などで料理をする暇がないので,食材だけ用意すれば後は皆で具材をいれて食べればよいすき焼きになったみたいです。私の家でもその伝統というか,その慣わしをそのまま引き継いでいて,妻も子供も大晦日の夜はすき焼きを食べて,年越しそばを食べることが当たり前になっています。すき焼きの肉の購入と,その他さとうのコロッケとチャーシューを購入します。メンチカツは買いません。開店と同時に長蛇の列ができていて,並んでまで買いたいと思わないからです。昔は,いつでも買えたのですが,テレビに出て,松坂牛のメンチカツということで有名になって,それ以降いつ行っても並んでいるので(昔は安かったのに,最近どんどん値段も高くなっています),いつの間にか買わなくなりました。紀ノ国屋とさとうで買い物を終えて,そのまま調布に行って,いつも買っているところで切り餅を購入し,近くのお花屋さんで正月の飾りを購入して,熱末の買い物は終了になります。お昼に何十年かぶりで調布のそらまめ(ラーメン屋)で担担麺を食べました。会社にいたときは,調布で飲むと〆によくそのまめのラーメンをたべていたのですが,大学に移ってからは全く行っていませんでした。最近,妻と娘が調布に行くとそらまめのラーメンを食べているとのことで,久々に行ってみることにしました。昼食を食べて家に戻り,これで今年の行事は全て終了しました。後は,すき焼きを食べて,紅白観ながら年越しそばを食べて,新年を迎えるだけになりました。