法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

卒業研究テーマ

 そろそろ新4年生の卒業研究のテーマを考える時期がきました。多くは継続するテーマなのですが,大体1テーマか2テーマくらい継続でないものを入れるようにしています。それでも以前行っていて,一時中断して,切り口を変えて新たなテーマにするものが多くなります。全くの新規はある程度形にするまでに時間がかかるので,外部からの委託を新テーマにする以外は全くの新規を取り入れることは少ないといえます。他には,社会人ドクターに関連するテーマで新規のものを取り入れることもたまにあります。

 私の研究室は,大きく分けてコンクリートの諸物性に関する研究テーマを行う物性グループと耐久性関連の研究テーマを扱う耐久性グループに分かれています。以前は,解析グループと称して,温度応力関連の解析を中心としたテーマをまとめたグループもあったのですが,最近では年に1テーマ程度なので,大体物性グループか耐久性グループに割り振ってしまっています。物性グループは,実験中心のテーマではあるのですが,本来実験結果を基にそれらのデータを解析して整理したり,得られた結果を用いて解析によるシミュレートをしたりして,物性値の評価や検証を行うことを主体としています。ただし,最近の学生は実験したら御仕舞と思っていて,データの整理やそこからの加工等ほとんどしないで,単なる試験報告書を作成して卒論できましたと持ってきます。頭を使うのが苦手なのか,自分で何をするのか理解できていないからなのか分かりませんが,毎年,実験してからがスタートだと何度言ってもわかってもらえません。もちろん結果をどのように整理して,それらを用いてどのような解析をしたらよいか聞いてくる学生もいますが,解析まで行ってある程度評価した結果を持ってくる学生は皆無です。確かに,コンクリートのことをよくわかっていない段階でそこまで望むのは酷なのかもしれませんが,社会に出れば遅かれ早かれ形は違っても求められるものは単なる結果ではなく,そこから何が分かるのか,何がいえるのかを提示させられることになります。それができないものは,業務遂行能力が不足もしくは欠如していると判断されかねません。

 学生によく言うのは,手段が目的ではないということです。実験しました,解析しましたは,研究目的の手段であって目的ではないのです。どうもそのあたりを履き違えている学生が特に最近目立ちます。今年もこの辺りがよくわかっていない学生が何人もいました。卒業研究をまとめる段になってというか,卒業研究の審査のための発表練習の段になって初めてそのことに気付く学生もいます。本論のドラフト提出後のチェックで私がよく“それで,だから何?”というコメントを書きます。誤字・脱字等の朱をいれたところは一生懸命直してきますが,こちらから問いかけたものについては,大体の学生はあいまいな修正か完全に無視します。したがって,発表練習の段階でこちらから質問しても全く答えられないか,そもそも研究目的が何かをわかっていないことが往々にあります。これで,1年間卒業研究をしてきて達成感が味わえるのか甚だ疑問に思ってしまいます。自分が卒業研究に対して思い入れがあるのか,こんなところからも垣間見えてきます。一生懸命作業をするだけでは,その先の見えるはずの光景が見えてこないのです。そこのところを一つでも破った学生は,卒業研究に対する達成感が味わえるのではないかと思っています。

 次年度は,全員が卒業研究に対する達成感を味わってもらいたいので,できるだけその人にあったテーマ選定をしたいと思っています。これもなかなか難しい作業です。3月まではいろいろ悩んでテーマを決めていくことになりそうです。

引継ぎ

 卒論審査,修論審査も無事終了し(人によっては無事ではなかったかもしれませんが),学部生の卒業研究の仕舞いと引継ぎの時期がやってきました。私の研究室は,研究テーマ自体が何年にも渡って継続しているものがほとんどなので,現4年生が新4年生にしっかり1年間行った内容,使用した試験機やソフト関連の引継ぎをしてもらう必要があります。とはいえ,新4年生は何をするのかほとんど理解していないので,引継ぎというよりも,4年生の片付けとデータ整理が主となります。きちんと内容まで引き継げれば,手戻りなく次年度の研究が進むのですが,今までうまくいった試しはありません。そのため,大学院に進学する学生にどうしても負荷がかかってしまうことになります。ただし,1年間一緒に研究をしていても,他の人の研究内容の詳細まで理解しているわけではないので,どうしても4月~6月くらいは失敗の連続となってしまいます。半分くらいの学部生が院に進学してくれれば,3年間研究を進められることができるので,研究内容も充実してきますし,成果も自ずと増えていきます。

 以前は,一緒に練混ぜしたり,解析したりしていたので,私自身試験機やソフトを使いこなすことができたのですが,最近はほとんど院生と技術嘱託の方にお任せ状態となっています。ありがたいことに院に進学してくる学生は皆しっかりしているので,失敗もありますが概ね上手くそのあたりは引き継がれているように思います。特に,歴代の技術嘱託の方たちが皆その道のプロに近い方たちなので,困ったときは技術嘱託の方にお願いすることが多々あります。特殊な試験機器が当研究室は多いことから,その操作方法をしっかりマスターしていただいているだけで,こちらとしても安心して学生に実験をさせることもできます。特殊試験装置の中でもTSTM(Thermal Stress Testing Machine)という実構造物内部の打込み直後からの温度履歴と構造物の拘束状態を自由に設定できる装置での実験は,学生だけでやらせると大体失敗してしまいます。いろいろなところに気を使いながら実験準備しなければならないのですが,そのような繊細な作業が学部生ではほとんどできず(適当にやってしまう),大体トラブルを起こすのです。今年の4年生は,技術嘱託の方が交代した年ということもあって,2/3は失敗してしまいました。その失敗経験を生かして, 4月以降新4年生をうまく指導してくれればと思っています(彼は大学院に進学します)。

 大学院に進学して一番良いのは,これまで教えられていた立場から教えなければならない立場に替わることで,自分自身のスキルアップができることだと思っています。会社などでは入社して2年目で新入社員を指導することなど考えられません。ましてや下手に教えて会社に損失などを出した場合には,本人だけではなく上司も厳しく叱責されることになり,場合によってはキャリアダウンにまでつながることになります。大学はあくまで教育の場であることから,たとえ失敗しても本人も4年生もそれで退学になったり,単位を落としたりするということにはなりません(指導教員からは厳しい叱責を受けることになるかもしれませんが)。もちろん,大学院での2年間がすぐに社会に出て役立つわけではありませんが,10年後,20年後にボディーブローのように効いてくるのです。特に理系学部はその傾向が強いと思っています。キャリアメイクの下地は大学院の2年間に培われているのです。残念ながら多くの学生はそれを知らないで社会に出ていくのです。目先のことに目を奪われてしまって,将来設計を十分にしていない学生が実に多いのが残念でなりません。

2月22日

 昨日は,母の九十二歳の誕生日でした。緊急事態宣言が出る前までは,正月も帰れなかったので,久々に顔見せに行こうかと思っていたのですが,このコロナ禍でそれも叶いませんでした。兄からもこの状況で無理して戻ってこなくてよいと言われており,無理して戻って大変なことになるのも心配でしたので自粛していました。母は,昨年体調を崩して暫く入院していて,その後今年に入って退院して普段の生活に戻っていたのですが,2月19日に再び緊急入院することになり,昨日お祝いの電話もできないままの状態でした。容態自体は,安定しているようなので,まずは一安心なのですが,歳が歳なので,何時どうなるのかもわからず,ヤキモキした状態です。前回も病院でのクラスター防止から入院中の面会が一切できない状況で,今回も退院までは面会できそうにないと兄から言われました。早く回復することを願うばかりです。まあ,昨日は家に帰るまでとてもゆっくり電話している暇もないくらい予定が入っていました。朝,9時過ぎに市ヶ谷の研究室に到着し(当然家を出る前に犬の散歩は終えています。昨日も暖かだったので,たっぷり散歩することができました),メールのチェックや返信等を終えると,そのまま大学院入試の面接会場に向かいました。10時から一般入試受験者6名,社会人特別入試受験者1名,外国人特別入試の受験者3名の計10名の面接を行いました。一般入試では,リベンジ組が2名いましたが,流石に2回目ともなると先生方からの質問にも比較的まともな受け応えをしていました。ただし,学部と院で研究室を変わりたいという学生に,一年間卒業研究をやってみて,それでも院で別の研究室に行く意志が変わらない理由を話してもらいたいと聞いたところ,かなり答えに窮していました。最後何かよくわからないことをいっていたのですが,明確な説明ではありませんでした。元々上位にいて,夏の院試を受けず(面接だけの院試),今回筆記から受けた学生がいましたが,やはり成績上位者だけあって,高い点数を獲得していました。成績上位者が面接だけでよい理由が何となくよくわかった気がしました。私の研究室も2名受けましたが,筆記は惨憺たるものでした。勉強の仕方というのをもしかしたら知らないのかもしれないと思うくらいでした。社会人特別は,面談だけで私の研究室に所属する予定の方です。共同研究を一緒にされていて,会社を経営している方なのですが,コククリートのことを一から勉強したいということで,昨年は研修生として1年間大学院の授業などを受けられていました。仕事と両立しながらになるので,大変とは思いますが頑張っもらいたいものです。

 全員の面談後,すぐに判定会議を開いて合否を決めました。既にお昼を過ぎていたので,事務が用意したお弁当を食べて,その後,教室会議,臨時の教授会,専攻主任会議(大学院の研究科の各専攻主任が集まった会議で,大学院での幹部会議のようなものです),運営委員会(こちらは,学部の各学科主任,執行部,事務の主任以上が集まる学部の幹部会です)が立て続けに行われ,終了したのが19時前でした。その後,会議ででた課題などの処理を行い,20時前に大学を出ました。今週末にも教授会があって進級卒落が決まります(一部訂正が入る場合があるので,3月初めにもう一度教授会があります)。いずれにしても今週と来週が学部運営での大きな山場となります。これが過ぎると卒業式まで一息付けます。しかしながら,以前にも書いたかもしれませんが,3月に入ると次年度の準備をしなければならず,本当に貧乏暇なしといったところです。

我が家の愛犬の誕生日

 2月18日は,我が家の愛犬チャイの9歳の誕生日でした。2012年の2月ですから,東日本大震災から1年近く経って少し落ち着いてきた時期だったと思います(私の家に来たのは,6月です)。元々,我が家にはチムニーという先住犬がいたのですが,10歳を超えて少し衰えが見え始めたので,若い犬と一緒にいたら若返るのではないかという家族の意見があったのと,チムニーがいなくなったら,私が立ち直れなくなるかもしれないということから,飼うことになったと思います。チムニーは,確かにチャイが来てからすこぶる元気になって,若いのと一緒にいると,若いエキスを吸い取って若返るというのも強ち嘘ではないように思いました。そういえば,大学の先生もいつも二十歳前後の学生の相手をしているので,同年輩の人たちよりも若いといわれています。私は,若い人の相手をあまりしていないのか,歳相応に老けていると思っています。むしろ,大学の同期などと会うと相手の方がすこぶる元気であったりします。チムニーも16歳半で虹の橋を渡ってしまいましたが,人間の歳からいったら80歳くらいとのことなので,まあ天寿を全うしたのかもしれません。

 お誕生日には,いつもより美味しいドッグフードをあげたりしていたのですが,ここ数年は,犬用のケーキを買ってあげるようにしています。最近では,ペットショップなどで結構おいしそうなケーキなどが売っています。2月の初めに国領にあるスーパーに入っているペットショップでケーキというよりはムースっぽいものを購入しました。小型犬でも十分食べられる大きさのもので,ケーキ以外にもステーキっぽいものや何とか御膳のような日本食っぽいものまで売っていました。よっぽど,人様が食べるものよりも美味しそうなものばかりでした。

 18日は,私が帰宅するまであげないで待っていてくれたみたいで,私が夕飯を食べている横で,娘がケースから取り出して(ケーキ自体は冷凍保存だったので,その日の朝冷蔵庫から出して,自然解凍させていました),まずは記念写真をとりました。“よし”というまでは食べないので,“待て”と言いながら写真を撮りました。その後,よしと言って食べ始めたのですが,あっという間に食べてしまいました。満足そうな顔をして,その後は私のリクライニングチェアの上で寝ていました。最近は,私が座るリクライニングチェアがチャイのベッド代わりになっています。モヘアでフワフワな状態なのがお気に入りのようです。9歳と言えば,人間でいうところの壮年にあたるものと思います。私とあまり変わらない歳になったということです。これまで,これといった大きな病気もしていないので,これからの元気でいてもらいたいと思っています。ここ2ヶ月ほどは寒くて散歩に行っていないので,この間お医者さんで測ってもらったら,0.5kgも体重が増えていました。チワワのような小型犬の場合,あまり体重が増えると,足の骨の骨折などが心配になるので,比較的気にはしているのですが,ついつい食事の時に私の御飯をあげたりしているのがよくないかもしれません。今日も散歩に行きましたが,これから段々暖かくなってくるので,毎日の散歩を再開させたいと思います。

パリでの生活(その28)

 7月5日及び7月6日は,いつもの生活パターンで5時30分過ぎに起きて,朝食の準備,食事をして,7時過ぎにアパルトメントを出て,8時過ぎにIFSTTARに到着,午前中はメールチェックや日本からの依頼の仕事をこなしました。5日は久々に研究室の他のメンバーに昼食を誘われて,一緒に食堂に行きましたが,結局彼らはほとんどフランス語での会話なので,全く理解できないままひたすら食事をするというこれまでのパターンと同じでした。午後は,Toutlemondeさんと法政大学とのパートナーシップ契約についての打合せをしました。私が在外研究でフランスに行っている頃,日本とフランスとの大学間などでの人や研究の交流に対して国が資金を提供してくれるSakura Projectというのがあって,IFSTTARとしても参画したいので,大学の方に聞いてもらえないだろうかというものでした。今の時期で次年度の応募は期間的に難しいという旨を伝え,一応大学側には聞いてみるとということにしました。17時前にIFSTTARを出て,RERに乗ってもうすぐリヨン駅というところで,時計を付けていないのに気が付いて,急いでIFSTTARに戻りました。まだ,ムハマッドは部屋で仕事をしていました。時計を忘れたので,戻ってきたと伝えると,私もたまに忘れ物をするんだよと笑っていました。結局,アパルトメントに戻ったのが19時過ぎていました。ただし,まだ外は昼間のように明るくて夜の7時とはとても思えませんでした。いつもより1時間以上遅れてのシャワー,洗濯,夕食でした。それでも寝る時間は21時30分過ぎで,いつもより30分位遅い就寝でした。

 7月6日は,特に何もなくいつもの生活パターンで,IFSTTARでも打合せ等なくて,18時前にはアパルトメントに戻っていました。まだ太陽は天中にあって,22時くらいまで暗くならないので,夜の散歩に行ってもよい位でした。しかしながら,一人でブラブラ出かけても面白くありませんし,一人でお酒を飲むのは好きでないので,部屋でのんびりお茶でも飲みながら,日本のドラマを観ていることにしました。かつて見ていたグルメ番組を立て続けに観て,それでも21時にはベッドに入っていました。ある意味私にとっては一番落ち着く生活パターンなのかもしれません。

 日本にいたら,知り合いや学生を誘って飲みに行っていたかもしれませんし,早く職場を出るのであれば,帰りに映画を観たりしたかもしれません。もしくは,自分の研究室でプラモデルの製作をしていたかもしれません。パリでもそのような生活をすればよいのかもしれませんが,あまり無駄なお金を使いたくないというのもありますし,アパルトメント自体は陽があまり射さないので,外は昼間のように明るくても部屋の中は電気を付けていないと薄暗く,どうもプラモデルを造る気にもなれず,こんな生活をしています。

 パリに来て,ひと月以上経って自分の生活パターンができてきて,何となくそれを繰り返しているのが一番精神的に落ち着くようです。20年前だったらそれこそアパルトメントにいないで,色々なところに出かけて行ったと思いますが,それだけ歳をとったのかなと自分自身思っています。皆さんも海外で長期間いるような仕事に就くときは,できるだけ若いうちにしたほうがよいと思います。

書類作成

 この時期,報告書だの申請書だのといろいろ書類を作成しなければなりません。今週だけでいくつ書類を作成したか覚えていないくらいです。昨日の維持管理工学研究所についても,継続申請して5年経過したので,その実績についての報告書の作成をしました。毎年どんな業務があったか(いわゆる研究概要というか業務実績),いくら外部資金を調達できたか,成果としてどんなところに論文投稿したか,その他関連する成果はなかったか等を整理して作成しました。さらに,自己点検・自己評価まで書かされます。大学の特長なのでしょうか,この自己点検,自己評価というのがいろいろな場面で出てきます。今年度,研究科長なので大学評価委員会の大学評価報告書作成のための中期目標・年度目標の達成状況報告書なるものも作成しています。私は,この手の書類作成が大の苦手です。何を書いたらよいかわからないというか,こんなこと書いてよいのか等自問自答しながら,これまでの報告内容などと見比べながら作成しています。想像力がないのかもしれませんが,この手の書類作成の時は,大体手が止まってしまって,1行書くのに1時間くらいかかることがよくあります。役所仕事が好きな人は,この手の文章を書くのが得意なのかもしれませんが,私のような人間には不向きといえます。実験や解析などから新しい知見を見出すことは結構好きで,その手の報告書や論文書くのは好きなのですが,この歳になると役所仕事のような報告書の作成ばかりやっている感じです。

 この役所仕事の報告書ですが,事務方の人からこれが抜けてるとか,この用語がおかしいだのといろいろ指摘されます。枝葉末節のところばかり指摘されます。一回ならまだしも,それが何回もあるとさすがに堪忍袋の緒が切れて,そんな些細なことくらいそちらで修正しろときつい文章(ほとんどがメールのやりとりなので)を書いてしまいます。こちらがもっと注意して書けばよいのですが,最初から誤字脱字もなく完璧な報告書など作成できるわけがないと思っています(多少,言い訳っぽくなっていますが)。もう一つ,指摘されていることが不明瞭で,こちらで判断して修正しても,それは違いますと突っ返してくるときは,ちゃんと指摘内容を明確にしてもらいたいと書くことがあります。こんなやり取りを続けているので,この時期はかなりストレスが溜まります。憂さ晴らしに一杯というのもこのコロナ禍ではできないものですから,余計にイライラが募ります。

 次年度は,大学関連の大きな役職がないので,4月以降はこのイライラも少しは解消されるのではないかと思っています。年齢とともに純粋に研究に没頭できなくなって,事務仕事ばかり(私は雑用と呼んでいます)が増えるのは,ある程度仕方のないことなのかもしれませんが,こういう時には秘書というか面倒くさい事務処理をしてくれる人が本当に欲しくなります。会社に勤めていた時は,研究室に一人事務処理をしてくれる女性がいました。もちろん,この学科にも事務を担当している人はいますが,仕事が軽減されないばかりか,どんどん仕事を増やされることが度々あります。本当にこの時期は,気が滅入ることばかりです。早く4月になって,気候も心も温かくなる季節が来ないかと日々思っている毎日です。

維持管理工学研究所

 当大学院には,特定課題研究所というのがありまして,2020年現在で34の研究所が設置されています(ほとんどの人は知らないと思います)。その中に私が所長を務めている維持管理工学研究所という鋼構造及びコンクリート構造物のインフラストラクチャーの維持管理に関する研究開発,調査,各種劣化試験,技術指導等を目的とした研究所(https://www.hosei.ac.jp/kenkyu/kenkyusho/tokuteikadai/tokuteikadai_list/tokutei_ijikanri/)があります。設立は,2011年だったと思います。初代所長はMY先生で,その後,MY先生が退職された後はMT先生が所長をされて2016年からは三代目の所長として私が勤めています。特定課題研究所というのは,大学のHPによると「大学院特定課題研究所は,受託研究費及び寄付金等の学外資金を事業運営費とし,社会的要請の高い学問分野での学際的共同研究を推進し, 本学の自主的研究活動及び新しい教育研究分野の開拓に資することを目的としています。」としています。要は,大学の研究所としての名前を付けてよいが,研究所の運用資金は自分で用意しなさいというものです。研究所の構成としては,研究員と大学院特任研究員となっていて,研究員は本学の専任教員となっています。大学院特任研究員は,研究所として必要な人員を大学が任期付きで承認してくれます。5年に一回更新しなくてはならず,次年度が更新年となります。現在研究員2名,特任研究員が7名ですが,2021年度からは少し規模を縮小して研究員2名,特任研究員4名の体制で行っていく予定です。一応,研究所の印鑑も最近作製しました。以前は,所長印としていたのですが,委託側から研究所として受託したのだから,報告書にも研究所の印を押してもらいたいという要望があったためです。

 設立当初は,MT先生と私の寄付研究,受託研究,科研費があったので資金としては比較的潤沢で,2017年度まではMT先生も研究員であったことから,年間数千万円くらいの資金がありました。2018年度からは,私だけになったのと,その年在外研究でパリに行っていた関係で,資金が大幅に減少してしまい,その後も数百万円程度で設立当初の1/3程度になっています。それでもここ5年間の平均が1千万円を超えていたので,少しは大学にも貢献していると思っています。特に,人件費が発生するわけではないので,資金が減ってもそれほど困らないのですが,それでもいろいろな実験関連の備品を揃えたりするのに若干不自由を感じるようになっています。MT先生の資金を私が使うということは基本的にないので,次年度以降少し縮小して運用していこうと思っています。

 維持管理に関するこのような特定研究所は,今後ますます需要が増えてくると思いますが,今のようなスタイル(寄付研究や受託研究を資金源としている)では,なかなかお金に繋がっていかないのも事実です。研究成果の特許取得やこれまで得られた知見を基にそれをフィービジネスに転換していく(そのためには営業をしないと駄目ですが,営業自体する人員がいません)など,受動的ではなく能動的にしていく必要があります。そうなると,本業である教育・研究が疎かになってしまうので,中々そのような方向に踏み出せないでいるのが現状です。できれば,特任研究員にリタイアした人材を増やして,その人たちに業務を行ってもらえるようになればよいのですが,今度はその人たちへの支払いが発生してきます。なかなか悩ましいところです。