法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

パリでの生活(その28)

 7月5日及び7月6日は,いつもの生活パターンで5時30分過ぎに起きて,朝食の準備,食事をして,7時過ぎにアパルトメントを出て,8時過ぎにIFSTTARに到着,午前中はメールチェックや日本からの依頼の仕事をこなしました。5日は久々に研究室の他のメンバーに昼食を誘われて,一緒に食堂に行きましたが,結局彼らはほとんどフランス語での会話なので,全く理解できないままひたすら食事をするというこれまでのパターンと同じでした。午後は,Toutlemondeさんと法政大学とのパートナーシップ契約についての打合せをしました。私が在外研究でフランスに行っている頃,日本とフランスとの大学間などでの人や研究の交流に対して国が資金を提供してくれるSakura Projectというのがあって,IFSTTARとしても参画したいので,大学の方に聞いてもらえないだろうかというものでした。今の時期で次年度の応募は期間的に難しいという旨を伝え,一応大学側には聞いてみるとということにしました。17時前にIFSTTARを出て,RERに乗ってもうすぐリヨン駅というところで,時計を付けていないのに気が付いて,急いでIFSTTARに戻りました。まだ,ムハマッドは部屋で仕事をしていました。時計を忘れたので,戻ってきたと伝えると,私もたまに忘れ物をするんだよと笑っていました。結局,アパルトメントに戻ったのが19時過ぎていました。ただし,まだ外は昼間のように明るくて夜の7時とはとても思えませんでした。いつもより1時間以上遅れてのシャワー,洗濯,夕食でした。それでも寝る時間は21時30分過ぎで,いつもより30分位遅い就寝でした。

 7月6日は,特に何もなくいつもの生活パターンで,IFSTTARでも打合せ等なくて,18時前にはアパルトメントに戻っていました。まだ太陽は天中にあって,22時くらいまで暗くならないので,夜の散歩に行ってもよい位でした。しかしながら,一人でブラブラ出かけても面白くありませんし,一人でお酒を飲むのは好きでないので,部屋でのんびりお茶でも飲みながら,日本のドラマを観ていることにしました。かつて見ていたグルメ番組を立て続けに観て,それでも21時にはベッドに入っていました。ある意味私にとっては一番落ち着く生活パターンなのかもしれません。

 日本にいたら,知り合いや学生を誘って飲みに行っていたかもしれませんし,早く職場を出るのであれば,帰りに映画を観たりしたかもしれません。もしくは,自分の研究室でプラモデルの製作をしていたかもしれません。パリでもそのような生活をすればよいのかもしれませんが,あまり無駄なお金を使いたくないというのもありますし,アパルトメント自体は陽があまり射さないので,外は昼間のように明るくても部屋の中は電気を付けていないと薄暗く,どうもプラモデルを造る気にもなれず,こんな生活をしています。

 パリに来て,ひと月以上経って自分の生活パターンができてきて,何となくそれを繰り返しているのが一番精神的に落ち着くようです。20年前だったらそれこそアパルトメントにいないで,色々なところに出かけて行ったと思いますが,それだけ歳をとったのかなと自分自身思っています。皆さんも海外で長期間いるような仕事に就くときは,できるだけ若いうちにしたほうがよいと思います。