法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

町の電気屋さん

今日は,メンテナンスのあり方について,思うところがあるので少し書いてみました。

先日,家にあるテレビの一台が電源を入れるとしばらく画面が映るが,突然消えてしまうことがあり,差し込みプラグやアンテナコード等いじっていたら,また映りだしたので,暫くそのままにしていたら,数ヶ月して今度は全く映らなくなってしまった。妻が修理依頼を購入した量販店に連絡したところ,翌日,メーカ(購入した量販店の店員ではない)から修理担当がきて,液晶画面が故障している(まだ3年しか経っていない)ということで,画面ごと交換していきました。これを修理というのかはなはだ疑問でなりません。単に交換しただけのように思えます。その部分の他の部品は十分機能していると思うのですが,それも含めて取り替えてしまったのです。パソコンなどもそうですが,最近のものはほとんどユニット化されていて,悪いとそのユニットごと交換してしまう。子供のころのテレビのように,町の電気屋さんが来て,本体の中の部品一つ一つ確認しながら,悪い部品を取り換えたり,配線の一部が切れかかっていたりすると,その部分を直したりとオーバーホールに近いようなことをして,最後は埃の溜まったところ等を掃除してくれていました。テレビに限らず,ラジオや冷蔵庫,洗濯機なども電気屋さんのその人が来て,修理していきました。なんでもできる人だなと妙に感心するとともに憧れでもありました。あの当時は,メーカ自体のアフターサービスが十分でなかった時代ですので,販売店の店員自体がメンテナンス技術者であったと思います。また,販売した先の機器の一つ一つの状態を把握していて,定期的に見に来てくれたりもしていました。確か中学になって家にエアコン(父はエアコン嫌いで,どんなに暑い時でも扇風機だけで過ごしていた)が入ったのですが,入った理由は飼っていた猫が夏バテしてしまうのでという理由だったように覚えています。人間様よりもよりも猫様のほうが大事という訳です。ただし,エアコンのありがたさは身に染みて感じたのもよく覚えています。まだ,あまりエアコンが普及していなかった時代だったのか,エアコンはしょっちゅう故障していて,その都度電気屋さんに来てもらっていましたが,そのうち定期的に電気屋さんが顔を出してくれて,エアコンの調子やテレビなどの調子をお金も取らずに見ていってくれました。数十年前までは,どの町にもこんな電気屋さんというか個人商店があって,それこそ電球一個でも快く替えてくれたものです。今の学生には,サザエさんのような漫画の中でしかお目にかかれない御用聞きも私の子供のころにはまだいて,お酒やお味噌なんかを注文に応じて持ってきてくれたものです。町と個人の繋がりがいろいろな場面であったような気がします。そういえば,今ではほとんど見かけなくなりましたが,町のお医者さんは必要に応じて往診してくれたものです。

私の子供時代の電気屋さんの姿を思い出させる映画があります。上野樹里主演の「幸福のスイッチ」(2006年)という映画です。和歌山県田辺市を舞台に,町に量販店ができて潰れかかった実家の電気屋沢田研二)を手伝う羽目になった主人公が,父の仕事に反発しながら次第に町の人々に密着したその仕事に共感していくストーリーです。「お客様第一,儲けは二の次」という電気屋の主人で,それこそ電球一個,電池一本届けるために依頼主の家まで行ったり,修理をしたりする姿は,まさに子供時代に見た電気屋さんの姿でした。また,御用聞きのように定期的に品物を購入した家に行って,製品の状態を確認しながら,悪いところがあるとただで直したりする。主人公のように物に溢れた時代の人たちにはとても想像できない姿ですが,そこにこそもの(お金)だけでなく,心の繋がりが如何に大切であるか垣間見えるような気がする映画です。私は,この映画こそ我々が目指すメンテナンスのあり方を教えているような気がしています。興味のある方は一度見てみてください。

メンテナンスというのは,何か町の電気屋さんや御用聞きの人たちのようなそれぞれの家庭とつながっていて,痒いところに手が届くことをしてくれるような行為ではないかと思っています。もちろん,現在では東京のような大都会の場合,このような小さなつながりを持って面倒を見てもらうようなことが難しくなっていると思いますが,孤独死や老々看護のことをニュースで聞くと,昔は物がなかったかもしれないが,心のつながりはあったように思います。構造物のメンテナンスも町の電気屋さんのようなその地域の構造物を見守り,時には面倒を見てあげる人たちが必要ではないでしょうか。

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幸福のスイッチ