法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

大学での教員生活

 昨日書きましたが,2001年の3月に建設会社を辞めて(以前にも書きましたが,辞める当日まで片付けやら資料の整理を行っていて,結局残っていた有給休暇(風邪で休んだ時くらいしか使っていないので,17年でどれくらい有給休暇無駄にしたか想像だにできません)を1日も消化せず会社を後にしました。),4月から大学で教鞭を取ることになりました。

 私の研究室は,3月の時点で一度見せていただいていたので(机と椅子と何故か打合せ用のソファとガラスのテーブルがありました),自分の居場所(席)はとりあえずあることを確認していました(まずは一安心した記憶があります)。4月2日だったと思いますが,初めて大学に出校し,満木先生に連れられて学部長室に行って,学部長と執行部の方たちに挨拶したのは覚えています。学部長から“建設会社から来たんだね。他にも新しく3人の先生が入られましたよ”といわれました。その後は事務の方にも行ったと思いますが,あまり覚えていません。

 大学に行ってまず驚いたのは,当時辞令というものを渡されなかったことです(今は渡しているそうです)。会社では,入社した時はもちろんですが,昇格,転勤でもちゃんと辞令はもらっています。当然もらえるものだと思っていましたが,何も言われず,満木先生にお聞きした時も自分ももらっていないよといわれました。本当に採用されたかどうか4月の給料がはいるまではドキドキでした。

 次に驚いたのは,毎日朝8時過ぎには大学に行っていたのですが,誰も来ていないということです。サラリーマン生活が長かったので,定時(会社務めしていた時は8時30分,現場の時は8時(早出の時は7時))に出社するのは当たり前と思っていました(授業の有り無しに関わらず)。ところが,授業のない先生はお昼ごろ(遅い先生は午後)出校されていました。この光景というか状況にとても違和感があったのを覚えています。朝は8時30分までにいく習慣は今も変わっていません。以前,他の先生にそんなに早く来なくてもよいよと言われたこともありましたが,サラリーマン教授の身としては,定時出社は必須だと思っています。その代わり,お昼は必ず11時30分からにしています(事務の方は11時30分~12時30分がお昼休憩となっています)。食堂が混むのが嫌なのが第一の理由です。当然,講義があるときは2時限目終了後(大学に赴任した当時は12時40分でした)からの食事となります。小金井キャンパスには教員食堂(今はありません)があって,授業が終わった後に行ってもそれほど混んではないのですが,第二の理由としてお昼寝をする時間を確保するためです(2時限目まであるときは,大体3時限目に授業を入れてなかったと思います)。会社務めしていた時からお昼寝は欠かさないようにしていたので,大学に来てからもこの習慣は続けています。最近は,1時間以上(以前は15分~30分程度でした)昼寝しています。以前は,昼寝しているときに学生が質問に来たりしたのですが,途中で起こされて非常に不機嫌な顔で対応していたので,学生も私の昼寝が終わるのを待ってから質問に来るようになりました。

 会社務めが長かったせいか,命令(指示)は上から降りてくるものという認識を持っていたのですが,大学ではいろいろな決定事項が会議を経て決まるのにも違和感を覚えました。最初の頃,教室会議でずっと黙って他の先生方が議論している様子をみていましたが,会議が終わってから,最年長の先生から“黙ってないで,ちゃんと発言しないと駄目だよ。ここでは皆同じ立場なんだから”といわれました。会社でいったら部長か役員クラスの年齢の人に物言うのは流石に憚られて,1年近くは何も言えない日々が続きました。

 明日は,初めての教え子(赴任した年の研究室の学生)の話を書きたいと思います。授業も明日から開始(といっても対面での授業ができないので,遠隔ですが)します。どうなることやら。