法政大学コンクリート材料研究室

法政大学コンクリートの活動報告

パリでの生活(その6)

 IFFSTTARでの勤務2日目,いつも通り5時に起きて,今日は朝食の準備をしました。日本では,朝食はいつもパン,卵,ハム(またはソーセージ),コーヒー,スムージーなのですが,スムージーを作るジューサがないので,スーパーで購入した100%オレンジジュースで代用しました。5時40分から朝食,顔を洗って,メールのチェックをします。7時過ぎにアパルトメントを出て,8時10分過ぎにIFSTTARに到着,さすがにこの時間ですと,ほとんどの人は出社していないので,一人静かに日本からのメールのチェックをすることができます。9時前後に皆出社してきて,必ず部屋に入って,握手をして挨拶します。親しい人同士は,頬にキスして挨拶しています(私は,握手のみです)。

 午前中は,日本からの仕事(本の原稿作成)をし,12時50分に昼食を取りました(日本では11時30分からでしたが,まだ勝手がわからないので,皆さんが食事に行く時間に合わせて,一緒に食事しました)。午後は,T氏から渡されたDEFの文献を読んだり,日本からの仕事をしたりして,17時にIFSTTARを出ました。17時15分にRERに乗ったまではよかったのですが,隣の駅(Noisy le Grand Mont d’Est)で突然電車が停車し,アナウンスが何度かあって,皆降り始めたので,仕様がなく駅に降りました(どうも車両故障だったようです)。掲示板には,フランス語で何時ごろ再開というようなことが書いてあるのですが,当然読めないので,周りの人たちの動きを見ながらベンチに座っていました。多くの人は,駅を出てバスに乗り換えていくようでしたが,当然路線もわからずただひたすら待つのみとなりました(何か月が経って,Gare de Lyon駅行のバスがあるのを知りました)。最初は18時30分位に再開するような表示だったのですが,結局20時すぎまで再開されず,駅で3時間近くただ待たされました。21時過ぎにようやくアパルトメントに着いて,精根尽きた感じで,夕飯を作る元気もなく,インスタントラーメンを食べただけとなりました。ただ,洗濯だけはしておかないとと思い,頑張って洗濯(20時以降は近所の迷惑になる(文句を言われる)ので,できるだけしないように言われていたのですが,文句覚悟でしましたが,誰も文句を言いにはきませんでした)をして,0時近くになって,ようやく寝ることができました。

 何もわからないままただ待つ(いつ再開されるか全くわからない状況)のがこんなにつらいとは思いませんでした。翌日,他の研究員さんに運行状況の確認の仕方を教わりました。2日目からして大変な思いをして,これからどうなるのか少々不安になりました。